どうも村田です

「だとしたら俺たち
の国体って何よ」
という話になるわけ
なのだ。
だって、今まで官僚の
指揮官は全部天皇
機関説でやっている
わけで
そうすると、自分
たちの国体は何だ
ということについて、
実はふたをしている
わけなのだ。
誰も言ってこなかった、
だから国体が不明
だから国体明徴運動、
国体とは何かを政府が
わざわざ言わなければ
いけなくなるわけなのだ。
読んでもらったら
分かると思うが、大した
ことは言ってないのだ。
はっきり言って
急ごしらえで作って
いるだけですので、
「天皇は国体である、
神である」
みたいなことを建前上
言っているだけなのだ。
しかし、それがその後の
日本の歴史を規定するのだ。
はっきり言って私には
ここから大東亜戦争まで
はもう必然にしか見えない
のだ。
そして、その時に重要な
ポイント、太宰治がまた
面白いことを言っている
わけなのだ。
太宰はまさにこの
昭和において20代を
過ごした男なのだ。
こう言っているのだ。
絶望感を少し確認する
という形だが、彼は
こう言っているのだ。
「(マルクス主義の)
福本和夫、」
福本和夫という
マルキストがいるのだ。
「大震災、首相暗殺、
そのほか滅茶苦茶のこと、
数千。
私は、少年期、青年期に、
いわば
『見るべからざるもの。』
をのみ、
この眼で見て、この耳で
聞いてしまった。
二十七八歳を限度として、
これより若い青年、すべて、
口にいわれぬ、人知れない
苦しみをなめているのだ。」
ここで、みんな苦しんで
いるではないかと言って
いるわけなのだ。
「この身をどこに置くべきか」
居場所がないのだ。
「それさえ自分には
わかっておらぬ。
ここに超ゆべからざる
太い、まっ黒な線がある。
ジェネレーションが、
舞台が、少しずつ
廻っている。
彼我相通ぜぬ
厳粛な悲しみ、」
彼我相通ぜぬ、
人とは分かり合えない、
それぐらいバラバラ
になってしまった
その悲しみなのだ。
「否、嗚咽(おえつ)
さえ私には感じられる
のだ。
われらは永い旅をした。
せっぱつまり、旅の
仮寝の枕元の一輪を、
日本浪曼(ろうまん)派
と名づけてみた。」
こう言うのだ。
文学者だから最後は
少し格好いいのだが
つまり旅の仮寝なのだ。
「私たちは今まで
漂流してきて、漂流
して漂流して漂流
してきたけれど、
今、目標を失って
ポッと止まった、
立ち止まった。
立ち止まったその
枕元に咲いている
1輪の花を
日本浪曼(ろうまん)派
と名付けてみよう
じゃないか」と、
つまりそれは積極的な
理念というよりは、
もうそれしかない
といった感覚で
日本を発見している
わけなのだ。
さて、ここから日本を
発見した形で時代が
動いていくことになる
のだ。
さて、一部飛ばすが、
昭和11年に2.26事件、
まさに昭和維新だから、
天皇主権説なのだ。
機関説を否定する
人たちが、まさに
革命を起こそうとする、
クーデターを起こそう
とするのだ。
天皇主権説が出て
くるわけなのだ。
しかし、出てくる
けれど天皇主権説が
弾圧されるのだ。
しかし天皇機関説は
もう国体明徴運動で
否定されているのだ。
さて、この国は一体
どういう国なのか
ということが
見えないままに
盧溝橋事件が起こる
のだ。
日中戦争が始まり
日中戦争は始まった
だけの勃発なので、
日中戦争についての
大義名分はないのだ。
大義名分がないから
昭和13年、後付け
において
「東亜新秩序声明」
が出されるのだ。
「東亜新秩序声明」
は近衛第一声明と
言われているのだ。
そして声明を読めば
分かるように
大東亜共栄圏構想を
後に用意することに
なるのだ。
つまり、もうこの
脈絡で分かると思うが、
私たちはあの
大東亜戦争を確信を持って
戦っていないのだ。
巻き込まれているわけ
なのだ。
要するに後付けで
出さざるを得ないのだ。
そして気付くと、
日独伊三国同盟を
成立させて、
大政翼賛会を発足させて、
第二次近衛内閣誕生
なのだ。
ここまで来るともう
止められないのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

