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何もしとらんのじゃ

どうも村田です

仏領インドシナ

ラオス、カンボジア、

ベトナムということなのだ

ここを1941年7月に日本が

進駐したことが理由で、

アメリカが腹を立てて

日本はやってはいけない

ことをやったために虎の

尻尾を踏んで開戦になった

というふうに歴史の本には

書かれておるの

みんな書いてるのだ

日本はその前年に北部仏印に

進駐しているのだ

日独伊三国同盟が調印された

4日前なのだ

なぜ北部仏印に進駐したか

というと、援蒋(えんしょう)

ルートというのがあったから

なのだ

援蒋の援は応援する、支援する

の、てへんの援なのだ

蒋というのは蒋介石の蒋で

蒋介石を援助するルートと

いうのがあり、

アメリカ、イギリスはこの

ベトナムの北部、北部仏印から

雲南省を通って

蒋介石を応援するいろいろな

物資をトラック等で例えば

大量にベトナムの港に

積み上げていくのだ

それが自動車で橋を超えて

雲南省の南シナに流れ込むのだ

その辺はたくさんのドラマが

あったところだが、その援蒋ルート

でいつまでも物資が運ばれる限り

戦争は、日本にとっては打撃で

あって続くのだ

だから蒋介石軍への武器や

弾薬や食料を押さえなければ、

戦争だから日本は蒋介石を

孤立させなければいけないのに

堂々とイギリスやアメリカは

蒋介石軍を軍事物資等で支援し

ていたのだ

ハイフォンというところがあり

そこから輸送道路で、日本と

しては何としてもこれを押さえ

なければならないから、

北部仏印に進駐したが

といっても日本は侵略した

のではないのだ

フランスはすでに1940年6月に

ドイツに対して降伏しており、

いわゆるヴィシー政権が

生まれたのだ。

ヴィシー政権というのは、対独、

ドイツに屈服した政権で、

フランスは2つに分かれて

しまうわけなのだ

フランスは戦後ずっと戦勝国

のような顔をしているけれど、

実は敗戦国なのだ

パリから遠く離れているこの

北ベトナムもドイツの支配下に

あったわけなのだ

ドイツは日本と同盟を結んだので、

日本は正当にフランスと話し合い

をしたのだ。

フランスはもうドイツの支配下

にあるわけだから、フランスの

パリ政府と正当に話をして

今度は南部仏印への進駐を

果たしたわけなのだ

南部仏印というのは南半分で

前はハノイで、今度はサイゴン

なのだ

これにアメリカ政府が反発

したわけなのだ

だから戦後に書かれた歴史書は

ほぼ例外なく

「日本は愚かにも南部仏印にまで

ついに手を延ばして失敗した。

それが戦争の始まりだった」

と書かれているのだ

すべての教科書、すべての歴史書

にそう書かれているのだ

ここからは独自の考え方を

するが

独自の考え方にはきちんと

自分だけの意見ではなく、

歴史書の裏付けもあっての

話なのだ

だから、日本の歴史書がそういう

考え方をしないというのは

おかしいのだ

これから述べることは格段異様な

解釈ではなく、普通の知性を

持っている思想家ならそう考える

ほかないのに、

一方的に今のような教育の仕方や

今のような歴史観で押し通して

きているのは日本の戦後の考え方が

おかしいからだということを

申しあげているわけなのだ

日本が南部仏印を押さえたのは

予想外のことではなく、日本の

防衛戦であるのだ

ここをもしアメリカやイギリスに

先に占領されたら、北部仏印は

孤立してしまうのだ

北部仏印が孤立したら蒋介石を

支援するルートを封鎖することも

できなくなるのだ

日本が防衛上の必要から、

南部仏印に入ったのだな

ということは軍略上、

英米政府には直感的に

すぐ分かることであるのだ

アメリカ政府としては

予想外のことではないのだ

同じ立場だったらアメリカも

同じことをやっていただろう

それは分かると思うのだ

さて、なぜそれが言えるのか。

アメリカは同じ時期に全く

同じことを欧州戦線で

やっているからなのだ

アメリカはまだこの対戦には

一切参戦していない中立国で

中立国だからやっては

いけないことだが、

アイスランドを予防占領したのだ。

予防占領というのはあらかじめ

手を打って占領してしまうこと

なのだ

そこから少しヨーロッパの

戦線のことを申しあげると

アイスランドという国があるが、

アイスランドはもともと

デンマーク領で

デンマークはドイツ軍に

あっという間に降伏して

しまうのだ

デンマークはドイツの隣国だから、

落下傘部隊の降下でデンマークは

あっという間に1日にして

ドイツに降伏するのだ

ところがアイスランドを

ドイツが占領していると、

イギリスが「これは危ない」

ということで

イギリス側からデンマークに

上陸して、アイスランドに

上陸して、アイスランドを

アメリカに先立ってまた

予防占領したのだ。

ところがイギリスはその力が

なくて、すでにロンドンが

ドイツのV何号というロケット

空襲で危なくなっていたのだ

ロンドンが大空襲を受けていた

からアイスランドを予防占領など

している余裕がなく、

アメリカにお願いして負担を

引き受けてもらって、

アメリカ軍がアイスランドに

進駐していたのだ。

これがちょうど日本の南部

仏印と時を同じくしている

7月の出来事なのだ

だから日本が南部仏印を

押さえたのは当たり前なことで、

そうしなければ北部仏印が孤立

してしまうわけなのだ

しかも、ドイツ領になった

わけだから、日独防共協定の結果、

日本がそこに入ってくる

何でもないことで話し合いをして

オーケーすればできることで、

日本は何も特別悪いことなんか

何もしていないわけなのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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