どうも村田です
三島由紀夫は、
自衛隊のマイナス面も
含めて
「すべてを知り尽くした」
「気の毒でしょうがない」
と、新聞の中に書いてるのだ。
それを紹介するのだ
「滝ヶ原分屯地は第2の我が家」
「滝ヶ原分屯地にお世話に
なりはじめてから、早い
ものですでに4年になる。
昭和42年の春、たった1人で
ここの新教隊に本名の『平岡』
の名で入隊してから、
翌春1ヶ月、その夏にも
1ヶ月、昭和44年の
春夏2ヶ月、
今年もお世話になり、短期の
レンジャー訓練を積み重ねて
ゐる。
私自身もずいぶん古兵
(ふるつわもの)になった。
滝ヶ原の厳しい冬を知り
早春を知り富士桜の咲き
乱れる陽春を知り、
撫子(なでしこ)の夏を知り、
秋を知った。
ここで新隊員と話をすると、
逆に滝ヶ原の『昔』を教える
やうにもなった。
私の生涯でも、自分の家以外に、
こんなに長い時間を過ごした
場所は他にない。
富士学校はわが母校、
滝ヶ原は第2のわが家と
人に言うようになった。
ここでは終始温かく迎へられ、
利害関係のなにもからまない
真の人情と信頼を以て遇され、
娑婆(しゃば)ではつひに
味わふことのない男の涙
といふものを味はった。
私にとってはここだけが
日本であった。
娑婆(しゃば)の日本の
喪(うしな)ったものの
悉(ことごと)くがここに
あった。
日本の男の世界の厳しさ
と美しさがここだけに
活きてゐた。
われわれは直接、自分の
家族の運命を気づかふやうに、
日本の運命について語り、
日本の運営について憂へた。
それがすべてここでは
自然であり、インテリの
観念の上すべりも、
大衆社会のかしましさもなく、
ぢかに手に触れる手ざはり、
ぢかに足で踏みしめる
富士山麓の日本の大地の
足ざはりを以て、
日本の危機と困難と悲運に
ついて考へることができた。
ここは私の鍛錬の場所
でもあり、思索の場所
でもあった。
「三島由紀夫、自決の2ヶ月前」
自衛隊を知りすぎた三島の
とった“愛ゆえの決断”
私は、ここで自己放棄の
尊さと厳しさを教へられ、
思想と行為の一体化を、
精神と肉体の綜合の
厳しい本道を教へられた。
汗と労苦を男の強情我慢を、
忍耐を、極限の自己の探求を、
規律を、それを克服した者
のみの知る喜びを教へられた。
これらはすべて自衛隊の
教官助教官諸官の無私の
指導に負ふところのもの
であった。
知らない間に、私は、
あの傍観者たちの世界に
おける異端者になってゐた。
この私に対し、終始温かい
後盾になって下さった
歴代連隊長を始め、
滝ヶ原分屯地の方々の
すべてに、私は感謝の
一語あるのみである。
同時に、二六時中自衛隊の
運命のみを憂へ、その未来
のみに馳せ、
その打開のみに心を砕く、
自衛隊について
『知りすぎた』
男になってしまった自分
自身の、ほとんど狂熱的
心情を自らあはれみも
するのである。」
それでは、私が要約して
細部を見ていくのだ。
「滝ヶ原分屯地は第2
のわが家である」、
これを説明しながら
要約していくのだ。
「私の生涯でも、自分の
家以外に、こんなに長い
時間をすごした場所は
他にない
富士学校はわが母校、
滝ヶ原は第2のわが家である。
私にとってはここ
だけが日本であった。
娑婆(しゃば)の日本の
失ったもののことごとくが
ここにあった。
日本の男の世界の厳しさ
と美しさがここだけに
活きていた。
自分の家族の運命を
気づかうように、日本の
運命について語り、
日本の運営について憂えた。
日本の危機と困難と悲運に
ついて考へることができた」
と述べているのだ
「歴代連隊長をはじめ、
教官・助教官・滝ヶ原の
隊員の方々のすべてに、
私は感謝の一語あるのみ
である」と続くが、
普通であればここで
「教官・助教」と言う
はずなのだ
それを「助教官」と
言っているということは、
尊敬されているという
表れでないかなと思うのだ
こういう言葉は聞いた
ことなかったのだが、
やはりさすがは三島先生
だと思うのだ。
それだけ教官助教も、
極端に言うと寝食を忘れて、
丁寧に一生懸命教えていたのだ。
だから、ある助教官は階級
なしで、名前で言われている
わけなのだ
そういう親しみを持って、
そこまでみんなの心に
入り込んでいっていた
ということなのだ
それに対して、
「私は感謝の一語あるのみである」
と先生はおっしゃっているのだ。
「と同時に、四六時中の
自衛隊の運命のみを憂へ」、
先生はこれを「二六時中」
と言っていますが、意味は
同じなのだ
「自衛隊の運命のみを憂へ、
その未来のみに馳せ、その
打開のみに心を砕く、
自衛隊について
『知りすぎた』
男になってしまった自分
自身の、ほとんど熱狂的
心境を自ら憐れみもする
ものである」と述べてるのだ。
「知りすぎた」ということは、
ここだけではなくて三島先生
の本の中にも載っているのだ。
『尚武のこころ』
という本があるのだが、
この中にもトイレの話が
載っているのだ。
自衛隊がいかに予算が
少なくて、そして、事故が
起きると指揮官のせいに
するけれども、
そうではなく、装備品が
劣悪だから事故が起きる
ということ、
そこまで先生は知りすぎて、
よく見られているのだ。
驚きなのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる