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ここだけじゃないんじゃ

どうも村田です

宗像大社の境内にも

所々写真が貼ってある

のですが

確かに荘厳な、神々しい

雰囲気は感じるのだ。

写真からでさえも感じる

ので、生で見たらなおさら

だと思うのだ。

本当に手を合わせたくなる

というのは、別にこちらが

強要しているわけではなく、

それは小さな子供でも

そういうふうになって

しまうという、そういう

島なのだ。

なるほど。今、人が入れない

と言う事ですが、神職さん

は入れるのだ。

昔、世界遺産になる前は、

年に1回、200人ぐらいを

島に上げていたのだ。

男性だけで、しかし、

もともとそれほど大きな島

ではないし、貴重な島なので

それが気にはなっていたのだ。

「200人の人が一気に入ると、

やはり良くないな」

と思っていたのだ。

世界遺産にする時に、

「女性がなぜ入れないのか」

というのが問題になって、

どうしようかということで

文化庁からも相談があったのだが、

私の方からの提案で、

「じゃあ、元に戻しましょう」

と言ったのだ。

「元に戻すというのは

どういうことか?」と言うので、

「神職だけにします。あとは

メディアは定期的に入れます」

と言ったのだ。

なぜかというと、神主が

きちんと管理しているか

どうかを、行ってチェック

してもらうのだ。

当然変な企画は入れない

けれども、今は

「入れましょう」

という話で、

文化庁とUNESCOと話をしている

というところなのだ。

神職さんもある儀式をしないと

入れないと伺ったのですが

みそぎなのだ

全部すっぽんぽんで、誰も

見ていないし、海の中で

みそぎをして、

それは誰でもそうでみそぎを

しないと上がれないという島

なのだ。

実際、上がってみるとどんな

気持ちになる場所ですか?

私が来たころは、まだ海の水が

冷たかったのだが、このごろ

温かいのだ。

やはり温暖化の影響だと思うが。

10年前、海の温度というのは、

少し遅れてはくるのだが

肌寒い感じはあったのだが、

今は温泉に入っているような

感じで、ぬるいのだ。

それから、島の中腹よりも

少し下ぐらいに本殿がある

のだが、

本殿に行くまでに約400段の

階段を上るのだ。

階段と言っても、きれいな階段

ではなくて、山の際をつくって

いく階段なので、

上下差があって結構しんどいのだ

上がると、フラットになっている

場所にたどり着くのだ。

そうすると、そこだけは

ほんわりしている感じなのだ。

「ここはちょっと違うな」

という感じがするのだ。

行くと、大きな巨石というか

巨岩があって、いわゆる

「磐座(いわくら)」

と神道の世界では言うのだが、

社殿ができる以前の神社の形が

あるというのが沖ノ島なのだ。

今でも社殿ができる前の

形態をきちんと残し続けて

いのは、何か意味はあるのか?

社殿があるといえば、

あるのだ。

それは江戸時代後期に

造られているのだが、

それは小さな社殿なのだ

これはよく言うのだが、

神社に社殿ができる

というのは、

仏教の影響を受けて

できていくのだ。

だから、比較的お寺と神社の

区別がつかないというのは

そういうところにあって、

昔はそんなものがないから、

岩であったり、木であったり

するわけなのだ。

お祭りをしていてつくづく

思うのは、そういう場所は

雨が降ったらお祭りは

できないわけなのだ。

屋根がないですからで

屋根を付けるというのは、

果たして神様のために付けたのか、

人間のために付けたのかと

悩むときがあるのだ。

屋根を付けることによって、

時間がコントロールできる

のだ

お祭りの時間に雨が降ったら

止めるのだ。

昔は雨とか天候が悪いと、

「じゃあ、明日にしようか」

となるのだ。

「それはやはり私たちの精進

潔斎が足りないんじゃないか」

とか……。

雨が降ること自体がそうで

そして、おこもりを続けて

いくわけなのだ。

だから、今でもある

磐座(いわくら)の祭場

だとか、

こちらの本土には

神籬(ひもろぎ)祭場という

木の祭場があるけれど、天候に

左右されるのだ。

左右ではないけれど、昔は

「天気は神様が決めるものだから」

ということで、天気に対して

謙虚なわけなのだ

だから、こういう祭祀(さいし)

の形態というのは、今では

珍しいけれど、

昔の人の考え方だとか、

神様との向き合い方を

考えさせられるというか、

そんなふうに思うのだ。

この境内にある高宮祭場を

初めて拝見した時に、

「こういう祭場が今でも

あるんだ」とすごく

感動したのだ。

しかし、ここだけでも

ないのだ

残っている所は残っているのだ。

実は同じような形態というのは、

海外にもあるのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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