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気がするんじゃ

どうも村田です

中村正直

(なかむらまさなお)

という人物がいて、

彼が『教育勅語』

の最初の草案を

書いているのだ。

彼はもともと儒教の

教育を受けているが、

ヨーロッパにいって

キリスト教に触れた

ことでクリスチャンに

なるのだ。

そして、

スコットランドの

思想家である

サミュエル・スマイルズ

の『西国立志編』

(原題はSelf-Hel:自助論)

を翻訳するのだ。

中村は当初、

『教育勅語』の中に

天や天意という言葉を

入れるのだ。

天皇の上にある

根源神のことなのだ。

ところが、それがすべて

削除されたのだ。

教育家の

元田永孚(もとだながざね)

らによって、

天皇の上にある

超越神のような概念が

すべて否定されて

しまうのだ。

その結果、天皇は

現人神であるという

考え方が固定化されて

しまうのだ。

『神皇正統記』

が説く天皇観とは

全然違うのだ。

「徳を失えば、たとえ

天皇であっても天から

見放されることもある」

という北畠親房の

論点は面白いのだ。

明治時代以降の日本の

在り方は、天皇や皇室

を含めて強く呪縛されて

いるのだ。

天皇=神様

になってしまった

ことが問題の一つでも

あるわけなのだ。

だから、いま改めて

『神皇正統記』

を読むということは

大事なことなのだ。

最近、三島由紀夫の

『英霊の聲(こえ)』

という小説を読み

二・二六事件で処刑

された青年将校と、

特攻隊の兵士が霊として

出てくるのだが、

その英霊たちが

昭和天皇をずいぶんと

批判しているのだ。

腐敗した日本国家を

憂いた青年将校たちが、

もう一度蹶起(けっき)

して、

天皇親政

(天皇がみずから

政治を行なうこと)

を実現させて世直し

をするのだ。

そういう

「清き心」

で反乱を起こしたのに、

天皇が

「将校たちは賊軍だ」

とおっしゃったので、

英霊たちが天皇を

お恨み申し上げている

という話なのだ。

英霊の言い分としては

「自分たちが蹶起する

ときに、神々が味方

してくれているのを

感じた」

ということなのだ

まるで天照大神の

御神意を感じると

いうか、

天皇に対して反逆

しているのだが、

「自分たちは正しい

ことをしているから

こそ、御神意が

降りてくるのだ」

というふうに思って

いるところが、

北畠親房の考え方に

とても近いと思うのだ。

同様のことが

神風特攻隊にもいえて、

「私心なく飛行機

で飛び込むのだ」

といい、

「有徳な人間には

天照大神の御神意が

味方してくれる」

と書いてあるのだ。

三島由紀夫が英霊

たちに大変共感して

いたというのは、

そういったところで

だが昭和天皇はそれを

御理解なさらなかった

ということなのだ。

昭和天皇も、

天皇親政と立憲君主制

の狭間にあって

分裂と矛盾に葛藤

されておられたと

いうことなのだ。

明治憲法の下での

分裂と矛盾が、激動の

昭和時代に入って噴出

したということなのだ。

いまの象徴天皇制だって、

同じように矛盾を抱えて

いるのだ。

だからこそ

「日本人にとって

天皇とは何か」

あるいは

「日本における

正統(しょうとう)

思想とは何か」

ということを、地に

足をつけて考える

べきときが来ている

と思うのだ。

正統をオーソドキシー

(Orthodoxy)

というと、宗教の方

なのだ。

正統の反対は異端だが、

これら二つの関係性は、

中世ヨーロッパ以来の

キリスト教神学の中で

問われてきた問題であり

一方で、日本における

正統(しょうとう)

は何かというと、

それはある種の

神学的要素を含む

ものとして

再度議論

し直さなければ

いけない気がするのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしとたる

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