どうも村田です

専門家の話って
記事にならないよな」
となって、
いくら言っても
全然入らないのだ。
官公庁の情報は
ズッポンズッポン
入るのだ。
しかしこちらの話は
いくら入れても
スッカラカンなのだ。
五ェ門が次元の
ピストルをカンカンと
やるみたいに、全然
入ってないのだ。
もう官公庁というと
記者は全部当たって
いるわけなのだ。
そして記者がこうなって
出来上がった公共事業
反対論を、
公共事業の話だけれど、
権力監視、
「俺が権力監視してやるよ。
田中角栄みたいな悪い人が
俺が成敗してやる」とか、
たかだかくだらない、
ちっぽけな
サラリーマンのくせに
正義漢が現れるわけなのだ。
「このアホが、
情けないしかっこ悪い、
おまえはお山の大将
じゃないか」
と思うのだ。
そして批判的選択傾向、
だから批判の文章は
書きやすいというのが
あったではないか。
そしてステレオタイプ、
「土木ってダメだよな」
みたいなものなのだ。
こういうのは全部
官公庁も、財務省が
喜ぶのだ
土木をたたいたら
公共事業関係を削れる
からなのだ。
そして世論の人間が
「田中角栄みたいな悪い
やつが土木屋の悪いやつ」
という物語を信じて
いるから、そういう
土木屋が悪いという物語
ができているわけなのだ。
だから
「コンクリートから人へ」
という訳の分からない
スローガンの
民主党が政権を取った
のだ。
「コンクリートから人へ」
ということで人気を得る
ことを通して、
こうやって作られている
のだ。
しかも公共事業
バッシングを始めた
のは財務省なのは
明らかではないか。
「公共事業をたたくために」
「ああ、それ僕やったん
ですよ」と言って、
財務省の人が口を割って
いるのだ。
ということで、
こういうメカニズムを
通して、これは1個ずつ
民俗学的に明らかに
なったものを、
それはたった1人の発言
だけで私は作っている
のではないのだ。
すべての発言を全部聞いて、
それでいろんな文献を読んで、
それでこういう解釈を提示
しているのだ。
これも科学の一籌
(いっちゅう)なのだ。
実験をやって、何か
データを取って、統計的
検定をやるだけが科学
ではないのだ。
これも1つの科学なのだ。
もう1回言うと、
「こいつどんなやつだろうな」
と思ったら、
「こいつは何でこんな
ことしているんだろうな、
何で僕と一緒に結婚しようと
言ってんのかな」
という時に、
いろいろ話を聞いて、
こういうふうな
さまざまな解釈をして、
「ああ、この人は僕に
対してこういう思いなんだな」
と思って結婚しているでは
ないか。
自分の人生が決まる時は
そうやっているのに、
科学的なことを
この財務省の構造を
知る時に
「やったらあかん」
なんておかしいではないか。
同じことをやったら
いいのだ。
しかも社会学だとか
民俗学だとかという
学問として、
これ民俗史、フォークロア、
民俗史研究というのが
あるのだ。
それはやはり人類が、
文系の学者たちが、
われわれの先達たちが
こういう研究アプローチ
を作っているのだ。
この第1巻はすごく
統計的に面白かったと
思うのだが、
こんな話をグチグチ
やりながらこういう
絵が見えてくるのだ。
しかもみなさんの直感に
ものすごく合うのでは
ないですか?
「いや、何か
そうなってる気するわ」
と思うでしょう?
なぜなら、
そうなっているから
なのだ。
ということで、
公共事業バッシングの空気、
構造改革をやったらいい
ではないかの空気、
緊縮財政をやったら
いいではないかの空気
というのが出来上がるのだ。
「MMTあかん」
という空気、
ケインズ積極財政は
アホだという空気が
出来上がっているのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

