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心理戦なんじゃ

どうも村田です

謀略というのは

心理戦なのだ。

心の中の問題なのだ。

心理戦の様相を

締めているから、

かなり緻密な歴史の

研究でも、

いかなる経緯や事象が

民衆の心理にどの程度

影響をもたらしたか

という解明は

そもそも困難だと

いうふうに思うから

なのだ。

少なくとも、日露が

開戦した1904年、

明石はパリでロシアの

侵略を受けていた国の

反乱分子など、それを

一堂に会した、

糾合した初の

合同会議を開催して

いるのだ。

これは動かない事実

なのだ。

反体制派を一度に

まとめた会議を

開いていることは

まぎれもない事実

なのだ。

そして1905年から、

明石から活動資金を

受けた、

社会革命党エスエルなど、

諸党派による反戦

反政府運動の火に油を

注いだということも事実

なのだ。

そして、破壊活動は

ロシア国内の治安を

悪化させて、

労働者が参加した

デモやストライキ、

そしてサボタージュ、

そういうものが首都

ペテルブルクを中心に

多く発生したことは

事実なのだ。

その結果、ロシア軍は

そういった反乱破壊活動、

デモやストライキを鎮圧

するために一定の兵力を

割かねばならなかった

ことも事実なのだ。

結果において極東へ

派遣しにくい状況と

なったということも

事実ではないか思うのだ

そのため、ロシア軍の

満州への派遣を阻んで、

いわゆる有名な

「血の日曜日事件」

から1905年の国内情勢の

深刻化が、対日戦争を

継続するという意図を

くじかせて、

皇帝やウィッテ、

ウィッテというのは

ポーツマス条約の

ロシア代表であった

ウィッテ大使ですが、

日本との講和に応じる

しかないということを

決心させたということ

は言えるのではないかな

というふうに思うのだ。

反体制派を糾合する

ことによって、

破壊活動や、それから

ストが頻発したという、

これは動かない事実

ではないかというふうに

思うのだ。

血の日曜日事件とは、

ガポン親父が中心に

なってやったのだが、

1905年1月9日、

サンクトペテルブルク

で行われた、

労働者による皇宮への

平和的な請願行進に

対して、

軍が発砲して多数の

死傷者を出して、

ひいてはロシア革命の

きっかけとなったと

言われているのだ。

外務省の主任分析官で、

現在作家として

知られている佐藤優さん

によると、

これは実は、稲葉さんが

この本をお書きになった

もとの史料になった本が

実はロシアにあり、

実はそれが日本語訳に

なって、日本語でも

もうすでに売られて

いるのだ。

『日露戦争の秘密 

ロシア側資料で

明るみに出た諜報戦

の内幕』

という本が1994年に

発刊されていて、

これは当然外務省も

外務省のロシア課も

これを知っているのだ。

しかし、この

「明石工作は意味がなかった」

というこの内容の本は、

ロシアがためにするため、

つまり情報操作する狙いの

本だ、

プロパガンダが狙いの

本だということで、

これはロシア課としても

翻訳しても仕方がない

ということで、

プロパガンダをしている

というようなことを

早くから見抜いていた

わけなのだ。

佐藤さんによると、

「従って、こういった

稲葉さんの本は、

そういうロシア側の

プロパガンダに

踊らされたものを

原史料にして書いた」

ことで、

共同研究といっても、

それぞれの国益によって、

フィンランドなり

バルト3国の人たちは、

それぞれの国の国益に

基づいて研究しているから、

これはそもそも日本の

国益とは合致しないのだ。

だから、共同研究と

言っても、日本の

共同研究にはならない

のではないかと言われて

いるのだ。

そして、ここで強調

したいのは、明石自身が

オフラーナをはじめ

2重スパイを大変警戒

していたということが

言えると思うのだ。

例えば2重スパイに

ついては、工作費の

金銭については、

先方の言い値でまず

先に渡して、そのまま

逃げて連絡が取れなく

なることもあったという

ことなのだ。

2重スパイを警戒するが

ゆえに、どんどん金銭を

渡して、

つまり先方の工作には

乗らないということに

気をかけていたという

ことなのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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