どうも村田です
日本は
「自分たちに合わない」
と思ったから
やらなかったのだ
韓国は言う通りやり
それで小中韓になるのだ
だが、日本は嫌だったから
やらなかったのだ
やらないけれど、何か
欲求不満だけたまるのだ
それでいつも、原始的な
文明だと自分のことを
思ってしまうところが
またまずいのだが
ずっとそういう状態が
続いていたというのが
事実なのだ
ところが、われわれが
そこのところはっきり
しているのは、
「全然別の文明なのでは
ないか」というふうに
考えるのだ
その方が分かりやすい
わけなのだ
左側は中国の建物の姿だが、
四壁を囲んでぴしっと密閉
し合うのだ。
朝鮮半島から始まって、
中国だけではなく中央アジア、
オリエント、旧ソ連領含めて
すべて、ユーラシア全土が
ほぼ建物の美学は同じ形式なのだ
日本だけが解放なのだ
外に開いているのだ
日本の建物は門が左右対称
ではないのだ
きちんとしていないのだ
わざと崩しているのだ
中国の場合には、家屋全体が
密閉式の中国に対して、
こちらは全面開放式なのだ
それから、中国やヨーロッパの
場合は個室本位だが、日本は
家全体の中で融通無碍
(ゆうずうむげ)
に移動できる開放的形式なのだ
ヨーロッパに行っても同じ
ことを感じるのだ
だから、ユーラシア大陸は
全部こうだというふうに
言えるわけなのだ
履物を脱いで上がる日本に
対して、靴で靴の生活なのだ
日本はベッドではなくて畳
で、シナ、中国はベッドなのだ
それから日本が座るのに対して、
椅子を使うのだ
胡牀というのは椅子のことで
こういうふうに日本は
ならなかったのだ
やはり日本人は畳が好きなのだ
それから、畳が好きというのは
笑い話で、ドイツで学生時代を
送って、日本酒とスルメを送って
きたので、
みんなで「来いよ」と言って
日本人を呼んで、大きな学生寮に
5人くらい日本人が来たのだ。
スルメを焼くと家に臭いが
するので嫌われるのだが、
ガスコンロでスルメを焼き
そして「じゃあ」と言ったら
みんなベッドでやるのが嫌で、
下の床に新聞を敷いて、
日本酒を飲んだという
思い出があるのだ
説明できないが、どうもやはり、
そういうのが少しあるのだ
今の人はどうだろう。
子どものころから全部椅子
だからあまりそういうことは
ないだろうか。
畳や何かにはこだわったのだ
不思議なもので
中国の寺院や何かというのは
柱に色を塗るのだ
日本でも平安神宮などは
ベタベタ塗ってあるけれど、
大体白木が好まれるのだ
ここで少し足りないから
言っておくが、
族外婚、一夫多妻で
冊封という概念がない。
天命という概念もない。
易姓という概念もない。
これは日本にはないという
話なのだ
そして日本にだけあって
中国にないものは
仮名。幕府。武士。紋章。
こちらは日本にあって
中国にないものなのだ
面白いから書いている
だけだが
シナ文明には武士がいない
というのは不思議で
いるのだが、もちろん。
いるのだが、位が低いのだ
権力者になれないのだ
どうしてかと思うと、
「はあ」と思ったのは、
中国の古典の1つにあるが、
皇帝を前にしてみんなで
議論するときに必ず古典を
話に混ぜるのだ
古典の出し合いになるのだ
古典を暗唱していないと
言えないのだ
大変なことで
「これはこうした」だけ
ではなくて、左伝から出て
いるとか、
あちこちから引っ張って
きた古典の文言は
組み合わせるわけで
これは左氏伝であるとか
韓非子もあれば、
いろいろなものから
拾ってきて、
そしてそれを組み合わせて
言上するわけなのだ
自分の作戦会議の、
作戦の内容をそういう
古典を散りばめて語る
わけなのだ
分かる人はいいけど、
分からないと読み取る
ことができないのだ。
それが競争になるわけで
いかに古典の知識を深く
理解しているかという
ことが決め手になるから、
武士は口出しする
チャンスがないのだ
すべての権限は文官が
握るという、変な話
なのだ
そんな不能率なことが
行われているために、
文民を排除するシステム
というのができている
ということを読んだことが
あり、「ひゃー」と思った
ことがあるのだ
よく分からんけど、
そういうことがあるよう
なのだ
仮名は日本独特の発明で
素晴らしい発明なのだ
以上のことを見れば分かる
ように、中国文明は
別の文明なのだと思って
しまえばはっきりするのだが
なかなかそう思えなかった
というのがやはり一番大きな
問題なのだ。
だが、最近、大変感心した
のは、川瀬一馬という人で、
川瀬一馬。
川瀬一馬という人の
『日本文化史』という、
これは書誌学というのを
やっている人だが、とても
いいことを言っているから
少し読んでみるのだ
とても大事な内容で
書誌学、書は書物の書、
誌は日誌の誌なのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる