どうも村田です

源という男系の血筋の、
家康という個人なのだ。
同じく織田信長は
「織田上総之介平朝臣信長」
で
西郷隆盛は
「西郷吉之助藤原朝臣隆盛」
ということになってくる
わけなのだ。
西郷さんも藤原朝臣
だったのだ。
ところが、この両立、
共存というのは近代に
なって終わってしまう
のだ。
まず、明治3年9月に
「平民苗字許可令」
といって、
苗字のなかった平民に
苗字を名乗っていい
ということになり
このことはよく言われて
いるのだがその直後の
1年後に
「姓尸(せいし)不称令」
といって
「もう氏は名乗るな」
ということになったのだ。
明治8年に
「苗字必称義務令」
が出て、
国民の名乗りというのは
全部苗字に統一された
わけなのだ。
だから、世襲という感覚も
家の感覚のみに近代では
なってしまったのだ。
ここで日本人の感覚が
そうなってしまったのだ。
だから、民法もヨーロッパ
から入れてきているので、
ヨーロッパの家の感覚に
合わせているわけなのだ。
もともとの日本の感覚から
違和感のある感覚だった
はずのものが、
どんどんそれが普通に
なってきてしまったのだ
だから、明治までの人たち
であれば、男系の意味の
ようなものは多くの人たち
が分かっていたのだ。
近代になってから、その
一方が削られてしまった
ので、
だから
「女性宮家でもいいじゃないか」
というのは、近代以降の
作られた伝統なのだ。
その中がずっとそうだった
というようにみんなが
思い込んでいるので、
ましてや古代の天皇を
捉える時にこの感覚で
捉えても錯覚でしかない
わけなのだ。
氏と家の感覚がどれだけ
違うかというと、よく
出てくる例だが、
25代の武烈天皇から
26代の継体天皇への
継承というのは、
お爺さんのお爺さんの
お父さんにあたる
第15代応神天皇に遡って、
孫の孫の子に下っている
わけなのだ。
お爺さんのお爺さんの
お父さんの孫の孫の子に
会ったことがあるだろうか?
お爺さんのお爺さんにも
会ったことがないし、
目の前にいても赤の他人と
しか思わないのだ。
そうしたら、家で
「男の子がいないので
家の財産をお爺さんの
お爺さんのお父さんの
孫の孫の子に渡します」
となったらきっと大騒動
になるのだ。
「何じゃそりゃ」
ということになり大反対
になるのだ。
実際、武烈天皇にも女の
兄弟はいたわけで
女の兄弟がいるのに
そのようなことをしたら、
家の感覚から言うと
大騒動で、それでも、
継承されているというのが
氏の感覚であるわけなのだ。
もっと遡った時代が実は
あり、南北朝の時がそう
なのだ。
99代後亀山天皇から
100代の後小松天皇への
継承は、
お爺さんのお爺さんの
お爺さんのお父さんである
88代後嵯峨天皇に遡って、
孫の孫の孫の子に
降っているのだ。
それでも、これが
不可能であれば、
南北朝合一はできて
いないのだ。
それだけ違うのだ。
それでも続いていると
いうのが氏の感覚だ
ということをまず
知らないといけない
ということなのだ。
家の世襲感覚で言うと、
継承者間の縁の近さ、
等親や付き合いというのと
継承者の能力が大切なのだが、
氏の世襲感覚では父系で
繋がってさえいれば、
継承者間の縁の近さや
能力は問題ではない
ということなのだ。
世代の隔たりも関係なく、
とにかく最初の先祖に
繋がっているという
ところが、
そこから直接に祭り主の
地位を受けるというのが
氏の感覚だということ
なのだ。
しかし、探すのは相当
大変だったのではない
だろうか?
とにかく継体天皇の時は
いらっしゃるという
うわさがあり
南北朝合一の時は、
離れてはいても一緒の
ところに住んで
らっしゃったりするので、
そこは大丈夫だったのだ。
ご存在を探すこと自体は
それほど難しくはなかった
のだ
だから、皇位継承と
皇統維持の意義だが、
もう1回言うと、皇位と
いうのは古代の氏、
血筋の感覚による継承
であって、
祭り主としての天皇の
地位と密接に関係して
いるのだ。
国民の近代的な継承感覚に
合わせて、古代から続く
継承感覚、継承事実を
捨ててしまってもいいのか
というのが、この
女性宮家などという
ような問題なのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

