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やってのけたんじゃ

どうも村田です

諜報・謀略面で傑出した

働きをして、陸軍中野学校

教育のモデルとなった人物

(先達)たちを紹介したいのだ。

まずは、川上操六【そうろく】。

川上は薩摩藩出身で、優秀な

頭脳を持った男だったのだ。

「陸軍参謀本部の父」

とも呼ばれており、明治維新

の兵制をフランス式から

ドイツ式に切り替えた人物

でもあるのだ。

川上は後輩の育成に定評があり、

薩摩・長州といった派閥を

排除して、優秀な人材を抜擢

したのだ。

川上に見出され、情報部門で

頭角を現した者には、

福島安正、明石元二郎

(陸士旧六期)、

宇都宮太郎(陸士旧七期)、

田中義一(陸士旧八期)などが

いたのだ。

日英同盟成立

(一九〇二年一月三〇日)から

半年足らずの同年七月七日に、

イギリス陸軍省において、

日英軍事協商が両国の

インテリジェンス部門の間で

合意・締結されたのだ。

これに参加した参謀本部

第二部長の福島安正少将は、

当時のフランス駐在武官の

明石元二郎中佐と英国駐在武官

の宇都宮太郎少佐と密談し、

ロシアに対する謀略工作を

行うことで合意・決意したと

言われているのだ。

ちなみに、この軍事協商締結で、

日本陸軍は、ロンドン駐在

陸軍武官の宇都宮を通じて

イギリスが得たロシアの

戦略情報や

インド方面のロシア陸軍の

動向が入手できるように

なったのだ。

さらに、英国は日露開戦に備え

観戦武官を通じてスピーディー

にロシアの戦況を獲得できる

措置を準備したのだ。

すなわち、日露戦争が始まると、

英国は二二人もの観戦武官を

戦場に送り込んで情報を

収集につとめ、得た情報を

日本に内密に伝えたのだ。

このように、日英軍事協商の

締結は、日露戦争の戦勝に

大きな利益をもたらしたのだ。

以下、日露戦争前・中の

諜報活動において著しい

活躍をした六人の勇士を紹介

するのだ。

いずれも日本軍の諜報分野の

草分けで、直接・間接的に

陸軍中野学校教育のモデルに

なったものと考えられるのだ。

また、彼らの諜報活動から、

日本人の諜報に取り組む際の

特色を読み解くことが出来る

のだ。

田中義一は長州閥の後ろ盾も

あったが、軍人として極めて

有能であったのだ。

川上はその田中を見込んで、

「金はいくらでも出すから

ロシアに行ってほしい」

と田中義一を説得し、ロシアに

派遣したのだ。

川上は、ロシアとの対決が

焦眉の急であると認識し、

その準備を急いでいたのだ。

川上は田中に対して、

ロシア軍の内情を調査した上で、

帰国後にそれに基づいて

作戦計画を立案するように

命じたのだ。

田中はロシア公使館付武官

という身分

(在任間、大尉から少佐に昇任)

で、

一八九八年から四年間、

ロシアで諜報活動を行ったのだ。

田中は川上の期待に応えるために、

ロシア研究に打ち込み、ロシア人

になりきって、

諜報活動に獅子奮迅の

活躍を見せるのだ。

その徹底ぶりについての

エピ―ソードはこうなのだ。

田中は、生活スタイルを

ロシア人同様にして、彼等の

風俗習慣に同化することを

重視したのだ。

田中は、先ず自分の姓名を

ロシア式に変更し、名と姓

との間に父称を入れて

『ギイチ・ノブスケウィッチ、

タナカ』と名乗ったほか、

女優上りのダンサーに鞭で

叩かれながらダンスを習い、

ギリシヤ正教に入信して

毎週日曜日には教会の礼拝に

行き、ロシアの精神基盤の

理解や風俗研究を行ったのだ

田中のロシア人になりきろう

とする態度は、ロシア人の

心を捉えて、

生れつきの明るさと人の善さと

相まって、

ヒューマンネットワークの構築に

役立ち、諜報活動の基盤を作る

ことが出来たのだ。

人からの伝聞による情報

(ヒューミント)を得る

ためには、信頼に基づく

人間関係の構築

情報源の開拓が不可欠

であるのだ。

このことは、陸軍中野学校の

教育についても重要な教訓に

なったはずなのだ。

田中のヒューミント

ネットワークの構築は

佳境に入っていくのだ。

田中は薩長閥だったこともあり、

機密費の使用は思いのままだった

のだ。

田中は金を惜しまず、ロシア

貴族の社交場に出入して

上層階級と親しく交際し、

ロシアの上流社会に食い込んで

いったのだ。

後に日露戦争で戦うことになる

アレクセイ・クロパトキン

(日露戦争時の陸軍総司令官)

とも仲良くなったのだ。

田中はあるロシア皇族の紹介で、

貴族出身者の多いサンクト

ペテルブルグの皇帝歩兵

第一四五連隊に体験入隊を

許されたのだ。

このことは、今日、

陸上自衛隊の一尉や三佐が、

習近平を護衛する

中国人民解放軍の部隊に

体験入隊するようなもので、

およそ不可能なことである。

田中はそれをやってのけたのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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