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一番古いんじゃ

どうも村田です

西暦から炭素14年代を

引くことはできないのだ。

同じ数字ではないからで

現在では交差年代という

のできちんとやっている

けれど、

当時はまだそういう

方法が編み出されていない

ので、もともとの

西暦への換算方法が

間違っていたというのが

あるのだ。

これで60年前に大体

紀元前300年ということが

炭素年代的にも、

それから交差年代的にも

仮に設定されたわけ

なのだ。

だからもともとの年代

というものが間違っていた

ということになるわけ

なのだ。

その後、説明したように、

弥生早期というのが

新たに設定されると、

もう1段階さかのぼらせ

ないといけないから、

大体100年ぐらい

さかのぼらせたと

いうことになるわけ

なのだ。

大体が土器1形式、

弥生時代には大体土器が

30形式ぐらいあるのだが、

大体1形式が30年から

50年継続して使われたと

考えられているから、

2型式分さかのぼらせる

ということになると最大

100年ということになるので、

弥生早期の始まりは

紀元前の5世紀か4世紀ごろ

というようになるのだ。

これが2022年までの

教科書に書かれていたのだ。

では金印はどうなのか、

使えるのかという話なのだ。

金印は紀元57年に後漢の

光武帝が奴国王に授けた

印鑑であるというのは、

これは文書に書かれている

から、この年代は間違いない

のだ。

ところが、この金印は

土器と一緒に出土しなかった

のだ。

金印だけが志賀島から

出てきたわけなのだ。

そうすると、もし土器が

伴っていれば、その土器は

紀元57年以降の土器である

ことが言えつのだ。

これは紀元57年に奴国に

与えられたものだから、

一緒に土器が出土すれば、

その土器は紀元57年以降

のものというのが分かるの

だが、

土器が一緒に出土していない

から弥生時代の年代を求める

ためには、金印は使えないと

いうことになるわけなのだ。

だから結局、前漢鏡だけが

弥生時代の年代を求める

場合には使える資料

ということになるのだ。

非常にもったいないのだ。

だから私たちの体の中にも

炭素14は呼吸で入るから、

私たちが生きている間は、

空気中の炭素14濃度と

一緒なのだ。

しかし私たちが死ぬともう

外から取り込めないので、

その時点から体内の

炭素14濃度が減り始めるのだ。

大体5,700年で濃度が

半分になるのだ。

だから、どれぐらい残って

いるのかが分かれば、

亡くなってから何年ぐらい

経っているかというのが

分かるわけなのだ。

例えば炭化米だと、

収穫した時から何年経って

いるかというのが分かる

わけなのだ。

貝殻だと、その貝がいつ

死んだか、それが分かる

わけなのだ。

それから、お焦げだと

魚を煮たりしたら、魚が

死んだ時の年代が出るわけ

なのだ。

それからすすで

すすはまきが燃える時に

付いたものだから、

木を伐採して死んだ時の

年代が出るわけなのだ。

それが炭素14年代の

考え方になるわけなのだ。

現在は加速器質量分析法

という方法でやっている

ので、ベータ法より精度も

上がっているのだ。

ベータ法はプラス・

マイナス大体60年ぐらい

だったのだが、

この加速器質量分析法

というのはプラス・

マイナス40年以下、

プラス・マイナス20年

というのも出ているのだ。

しかも、加速器質量分析法

というのは一度に大量の

サンプルを測ることが

できるのだ。

それから、ごく少ない

炭化物でも測ることが

できるから、

すすとか、お焦げなども

測るようなことができる

ようになったという方法で、

現在はこれで行われている

のだ。

では、紀元前10世紀説の根拠

なのだ。

国立歴史民俗博物館が

3年間行った研究で、

どうやって紀元前10世紀

という説、

つまり約500年さかのぼる

説でそれに到達したかと

いう話をすると、

まず佐賀県の唐津市の

梅白遺跡というところで、

水田に伴う水路が発見された

のだ。

その水路に打ち込まれた

くいなのだ。

この炭素14年代、それから

このくいに伴って出土した

土器、夜臼(ゆうす)Ⅱ式

という弥生早期の土器、

これに付いていた付着炭化物、

この2つの年代を測ったのだ。

それから福岡市の雀居遺跡、

これは福岡空港の国際

ターミナルビルを造るときに

発掘された遺跡なのだ。

だから滑走路のすぐそばの

遺跡なのだが、ここで

出てきた土器に付いていた、

やはり付着炭化物の年代を

測ったのだ。

こういうような年代を

大体10点から15点ぐらい

測った結果、

弥生時代の早期の始まり

というのは紀元前10世紀

までさかのぼるのでは

ないかという説を2003年に

発表したわけなのだ。

現在では、この福岡市の

橋本一丁田遺跡という

福岡市の外環自動車道

というものがあり

あの発掘をした時に

見つかった遺跡なのだが、

そこで出てきたこの時の

炭素年代が2,765プラス・

マイナス35という炭素14年

なのだ。

これが今のところ、この

橋本一丁田遺跡という

ところでも水田は

見つからなかったのだが

水路と、それから矢板が

見つかったので、これが

今のところ一番古い

弥生土器ではないかと

いうふうに考えている

のだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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