Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

知らせてくれとんじゃ

どうも村田です

今までの不思議を

いろいろな史料から

一つ一つ見ていくのだ。

まず、『信長公記』、

これが一番有名で

「信長も、御小姓衆も、

当座の喧嘩を下々の者共

仕出(しで)し候と、

おぼしめされ候のところ、

一向さはなく、ときの

声を上げ、御殿へ鉄砲を

打ち入れ候」。

「こっちの御殿の方に

鉄砲を撃ってきたぞ」

と書いてあるのだ。

「是れは謀叛か、如何なる

者の企てぞと、御諚の

ところに、森乱申す様に」。

ここで書いてある

「森乱」というのは、

森蘭丸なのだ。

どの史料も、森蘭丸の

「蘭」というのは、

この「乱」という字が

書いてあるのだ。

オランダの「蘭」では

ないのだ。

だから、大河ドラマは、

確か森蘭丸の「らん」は、

この「乱」という字で

やっていると思うのだ。

多分時代考証ができていた

と思うが、どの史料を見ても、

この「乱」で書いてあり

「森乱申す様に、明智が者と」。

この「が」というのは、

個々の「が」なのだ。

所有だから、「明智の」

という意味で

「明智の者と見え申し候と、

言上候へば」。次だが

これは有名で

「是非に及ばずと、上意候」。

この「是非に及ばず」

というのはどういう意味だと

思われるか?

よく言われるのは、

「明智か。まあ、これは

仕方がないな。どうしようも

ないな。是も非もないな。

こりゃダメだわ」と、

こう取られるのだ

聞いた中でも、そういう

人が多いのだ。

しかし、数々の武田との

戦いやいろいろな戦いを

含めて、

命ぎりぎりのところで

生き延びてきた信長は、

ここでは

「まあ、しょうがないな」

と言って、さっさと諦める

だろうかというところが

不思議で仕方がないのだ。

「是非に及ばず」、

違う意味ではないのかな

というところなのだ。

実は、太田牛一という

信長の家臣が、

『信長公記』を書いているのだ。

彼は信長の側近で、

いつでもそばにいて事実を

書いたということで、

『信長公記』というのは

非常に信ぴょう性が高いと

言われている史料なのだが、

この時には太田牛一は

安土にいたのだ。

後で聞いた話で書いて

いるのだ。

だから、これは全く当たり

というわけではないのだ。

この「是非に及ばず」を、

ほかの史料で探したのだ。

「絶対どこかから出てくるだろう」

と思ったら、出てきたのだ。

これが今までの『信長公記』

に記された本能寺の変の様子を

よく絵に表した錦絵なのだ。

この錦絵を描いたのは、

楊斎延一なのだ。

この人は日本人だが、これは

明治になってからなのだ。

森蘭がいて、森蘭丸の「蘭」は

「乱れる」という字ではないのだ。

それから、お寺の中に信長がいて、

やりを突き出している者がいる。

大変な争いになった様子が

書いてあるのだ。

今までの本能寺はこうだったのだが、

今もそうなのだ

そう簡単に信長はやられて

いないのだ。

やられてしまったら、

ファンが怒るのだ。

だから、なるべく頑張って

もらうわけだが、実際は

案外簡単にやられてしまって

いるのだ。

あったのは

『言経卿記

(ときつねきょうき)』で

これは公家が書いたのだが、

記録の中に「二日」と書いて

あるのだ

「明智日向守依謀叛押寄了」。

「了」と書いて「おわんぬ」

という意味なのだ。

押し寄せたという断定で

過去形なのだ。

「則時ニ前右府打死」

と書いてあるのだ。

押し寄せた即時に全右府、

信長のことで右大臣なのだ。

「打死」、すぐに死んだ

ということなのだ。

「同三位中将(織田信忠)

妙覚寺ヲ出テ、下御所

(誠仁親王御所)」、

これは二条御所のことで

「ヘ取籠之處ニ」。

「そこに入ったら、

こもった所に」という意味

なのだ。

「同押寄、後刻打死」。

これは激しく争いました。

争って死んだものだから、

「後刻打死」と書いて

あるのだ。

信長の方は、「即時ニ打死」

と書いてあるのだ。

ここの表現の違いで

これは村井貞勝とかいろいろ

出ているが、

これらはみんな、

「上御所(内裏)へ御渡御了」

と書いてあるのだ。

「言語道断之爲躰也」

と書いてあり

言経は、

「こんなバカなことは

言語道断なことだ」と

言っているのだ。

「京洛中騒動」、

騒いだということ

次に、「不及是非了」

と書いてあるのだ。

ここで彼が使っているのだ。

言経が書いた方が、

太田牛一が書いたもの

よりも早いのだ。

だから、太田牛一はきっと

『言経卿記

(ときつねきょうき)』

を読んだのではないかと、

個人的には思っているのだ。

「是非に及ばず」

という言葉を使っていて

ここでの意味は、

「京洛中騒動」、

これは

「とんでもないことだ。

是も非もない。あっては

ならないことだ」

ということを言ってるのだ。

だから、『信長公記』の

最後のところでも、

「是非に及ばす」

というのは

「信長の潔さを示したこと

ではない。何たることじゃ。

とんでもないことだな」

というふうに信長が叫んだ

のなら分かるのだ。

それから、頑張って奮戦

したのかもしれないし、

奥まで行って自決をした

という結果になるのだが、

史料というのはこんなことを

私たちに知らせてくれるのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

Follow Me