どうも村田です

戦争についての記憶は、
先の大戦から時間が
経てば経つほど薄れて
いき
今年2025年は戦後80年、
を迎えたのだ。
実際に戦争に行った
人たち、私の祖父は
戦争に行っていますが、
祖父ももうとうに
亡くなっているのだ。
戦争を実際に体験した
人たちがどんどん
いなくなっていく
のだ
国内で戦争を体験した
という方はまだまだ
いらっしゃいますが、
実際に戦地に赴いて、
そして仲間たちが戦死して、
自分が生き残ってきたと、
そういう体験を持つ方
となると、もう100歳を
超えるような、そういう
時代なのだ。
そうなると戦争の記憶
がどんどん薄れていく
のだ。
8月になると毎年新聞や
テレビが戦争関連の
報道をして、
その記憶の風化に
どういうふうにあらがって
いくのか、
どういうふうに戦争
体験を継承していく
のかという、
そういう番組を作る
わけだが、とにかく
戦争が遠くなって
きている
というのが大方の
感想かなと思うのだ。
その遠くなっていく
戦争にどうしたら
それを忘れないで
いられるのか
という問題意識だと
思うのだが、そんな
時代にもかかわらず、
実は戦死者とつながり
やすくなってきている
という事を書いてみたい
と思うのだ。
直接の記憶は薄れて
いくけれど、戦死者と
つながっているという
ことなのだ。
例えば、これまで
だったら、まず人を
媒介としてつながって
いたのだ。
祖父は家では戦争の話
をほとんど語りません
でしたが、
「ああ、この人が戦争中
は軍隊に入って前線に
出ていたんだな」とか、
このおじいさんという
存在を通して戦争を感じ
取ることができたのだ。
あるいは直接戦争体験を
した人の話を聞く機会も、
かつてはたくさんあった
のだ。
そういう人がいなく
なってくる、記憶を
実際につないでいく
人がいなくなっていく、
それから知識もかつて
であれば
「戦争の時はこうだった
んだよ、戦場ではこう
だったんだよ」
というのを体験した人や、
体験した人に近い人たち
が話してくれたり、
説明を補ってくれたりして、
知識の伝わり方というのが
すごく生々しかった、
リアルに伝えられていた
のだ。
これが、もう本に書いて
ある知識で勉強すると
いうふうになってきて
いるのだ。
60代、70代の方も戦争
の記憶は当然ないのだ。
だから、主に本を通して
戦争について、歴史に
ついて学ばれていると
思うけれど、
やはり文字を通して勉強
するということがほとんど
だと思うのだ。
それから、歴史認識を
通して学ぶということ
もあったのだ。
知識とは少し違うのだが、
歴史認識というと、例えば
戦争の歴史を学ぶ時に、
これは全体として良い
行いだったのか、
そういう価値とか規範を
ベースにして知識を
伝えるかなのだ。
あるいはこの戦争は
間違っていたと、
そういう価値や規範の
ベースの上に歴史を
語っているのだ。
そういう価値や規範と
セットで伝えること、
それを歴史認識と言う
としたら、
今そこの部分はすごく
離れてきているというか、
歴史認識は歴史認識で
良い悪いの評価があり
それとは別に、あの
戦争の時に何が起こって
いたのかとか、
本当のところがどう
だったのかというのは、
価値や規範とは切り
離して見ることが
できるようになって
きているのだ。
今まで人、それから
知識、歴史認識、
いくつか要素を挙げて
きたけれど、
それぞれについて、
かつてであれば
生々しい体験と
結び付いている、
あるいは直接この人が
こういう体験をして、
こう思ったから、
この知識もこうやって
伝わってくるという
ようにすべてつながって、
くっ付いて戦争の記憶
というのは伝えられて
いたのだが、
今はこれがバラバラに
なっているということ
なのだ。
生々しさとかリアルな
感情というのが切り
離された形で
子どもたちに伝え
られるようになって
いるのだ。
それは良くないかも
しれないけれど、
良いことでもあるのだ。
チャンスかもしれない
歴史を学ぶ時に
そういう生々しさは
置いておいて、本当に
何があったのかを
冷静に考えるという
面ではいい時代に
なったとも言う
ことができると思うのだ。
では戦死者とつながり
やすくなっているという
話と、
これがどういう関係が
あるかと言うと、
そういうふうに
これまでであれば
いろいろつながって
いたものが
バラバラになってきた、
希薄化してきたという
ふうにも言えると
思うのだが、
そういう時代だから
こそ、過去の戦死者と
直接、そういった
媒介を抜きに、
人や知識や歴史認識
という媒介を抜きに
つながりやすくなって
いると、
そういうことを
言いたいのだ。
媒介を抜きに直接
つながりやすくなって
きているということ
なのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

