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入るんじゃ

どうも村田です

西半球の主であるから

東半球のことには影響

されたくない、

口出ししたくないし責任を

負うのも嫌だというのが

トランプさんの主張なのだ

わがままに見えるが、

一貫しての主張で

この当時のアメリカには

すでにこういう根っこが

あるのだ

何ら新しいことを言って

いるわけではないのだ

この南北アメリカを中心に

したモンロー宣言的な

自己意識というものと利害が

一致したのはどこの国か

というと、

お分かりだと思うが

イギリスなのだ

今までイギリスとアメリカは

ぶつかっていたのだけれど、

この1点に関する限りは

イギリス政府はアメリカの

モンロー宣言を支持するのだ

そして、同じころロシアが

アリューシャン列島から

アラスカを島にしてだんだん

こちらに出てくるのだ

アメリカがアラスカを買い

取ったのは有名な話だが、

これは少し後のことなのだ

ロシアがカナダの方へ下りて

くるのだ

これはアメリカとイギリスに

とって脅威だから、一緒になって

跳ね返そうとしたのだ

ロシアはその時はヨーロッパ

勢力の一部になっているのだ

だから、ロシアはスペイン

なんかと1つになるのだ

それを排除しようとするのが

モンロー宣言ということで

あるから、その限りでは

英米は利害が一致していて

共同戦線を張っていたと

言っていいのだろう

明治24年に日本政府は硫黄島を

領土に編入しようとしたのだ

ところが、それに「反対だ」と

言ってきた国があるのだ

それはスペインなのだ

スペインはその時フィリピンも

握っていたし、カロリン諸島、

マーシャル諸島、サイパンや

ケニアなど、

私たち日本の身近にいた

南の島々を押さえていたのだ

だから、同時に硫黄島も射程の

中にあったのだろう

だが、どれも影響がないと

見たから日本政府は硫黄島を

宣言したのだが、

スペインが

「反対だ」と言ってきたのだ

その間のいきさつは詳しいことは

分からないが、結局は日本が

硫黄島を領有するということに

なるのだ

多くの日本人は今忘れているが、

これはマゼランの大航海と関係

しているのだ

マゼランはアフリカをグルッと

回って太平洋を横切って、

こちらから入っていくのだ

そしてフィリピンにたどり着いて、

マゼランはフィリピンで蛮族の

毒矢に当たって死んでしまうのだが、

この一連の動きの中に豊臣秀吉や

徳川家康の名前が切り離せない

形で出てくるのは一連の話の中に

書いたのだ

このスペインの話は、オランダや

イギリスやフランスがアジアに

目を向けて日本のそばまで

やってくるより前の時代の出来事

なのだ

ところが、妙なことにその前の

時代の出来事の時代潮流が

日本史と切り離せない関係に

あるのにも関わらず、

そこに目を向ける日本人が

ほとんどいないのだ

大体

「フィリピン」という言葉は

スペインのフェリペ2世の名前

から取ったので、

フェリペからフィリピン

ということなのだ

そのフェリペ2世に、

「ここに反対する男あり」

と声を上げたのが秀吉なのだ

そして、フェリペ2世が

スペインの王宮の中で

世界地図を動かして見ていた

わけだが、

その当時のアメリカ大統領

のようなもので

世界史の全体を握っていたのが

フェリペ2世だから、

「日本には近づくな、日本と

戦をしてはいけない。鉄砲は

ないのだから」

と船で刺客に伝えて、アジアに

出張っていた宣教師たちの

外交を制限するのだ

それはひそかに秀吉の並々ならぬ

意思と、強烈な強い国だという

認識と、下手なことをして

傷ついても決まらないという

考えがあって、

「日本列島には近づくな」

と言ったのだ

そういうことがあるのだ

今でも贈り物の交換が行われて、

スペインからは黒い馬、その他

かぶとなどが届いているのだ

日本からもよろいかぶと、日本刀、

その他いろいろなものが交換

されていて、日本では目録だけが

妙正寺というお寺に残っておるが、

スペインに贈られた秀吉の

贈り物は、実物がマドリードの

軍事博物館に今でも陳列されて

おるのだ

われわれはすぐにオランダとの

交流のことばかり言うけれど、

それ以前の歴史のつながり、

そうしてイギリス、フランスが

登場しアメリカが登場するよりも

はるか以前の時代潮流が日本史と

切り離せない関係にあった

というようなことを考えないのだ

それは江戸時代というものが

真ん中に入ってきて、その間に

日本が何もしなかったように

思われているために、

歴史がつながっている

ということが分からないのだ

ポツンと日本人だけが取り残され、

その間世界史は激しく動いていた

のに、

やはりここでもその潮流から

切り離されて、今でも日本人の

意識の中で抜けてしまっている

のだ

スペインとの交流がどうだったか、

硫黄島の話など何も知らないのだ

これが歴史を考えるうえでの

日本人の盲点なのだ

つまり、鎖国があったために

その間が抜けてしまったのだ

さて、ここから話が佳境に

入るのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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