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象徴しとんじゃ

どうも村田です

興亜院

興亜院は、一九三八年

一二月一五日に第一次

近衛内閣で設置された

国家機関であるのだ。

表向きの設置理由は

「日中戦争によって中国大陸

での戦線拡大に伴い占領地域

が増えたため、 占領地に対する

政務・開発事業を統一

指揮するため」

というが、本当の目的は

「阿片の需要と供給を

コントロールすること」

だったようなのだ。

その証拠に、里見甫の里見機関

も興亜院の傘下機関であったのだ。


日本の阿片政策が国際的に

問題になっていたため政府

自らではなく、

興亜院という仕組みを作った

というのが真相のようなのだ。


興亜院は、関東軍と連携して

中国国内で阿片の密売などを行い、

その利益を関東軍への武器や

資材調達に充てていたようなのだ。

陸軍は、阿片や偽札作り(梅機関)

などの非合法な 手段で裏資金を稼ぎ、

それを使って謀略工作はもとより

武器・資材の調達などをしていた

のだ。

児玉機関

児玉誉士夫【よしお】によって

上海で設立された海軍の特務機関

であるのだ。

日中戦争開始の翌年(一九三八年)、

右翼団体・国粋大衆党総裁の

笹川良一の紹介で海軍航空本部

(航空機や航空兵器の研究・計画・

審査を管掌。当時の本部長は山本五十六)

に採用され、嘱託(佐官級待遇)となった

のだ。

真珠湾攻撃が迫る中、海軍省から

配当される兵器用資材が

海軍艦政本部(軍艦製造を掌 る)

に掌握され、

海軍航空機の製造に必要な資材が

回されないことに業を煮やした

海軍航 空本部は、

独自の物資調達のために、

航空本部独自の資材調達ルート

として「児玉機関」をフル活用

したといわれるのだ。

児玉は、海軍航空本部長の

大西瀧治郎少将(当時)と知り合い、

後に大西が特攻で戦死させた将兵に

陳謝して自決する日まで、親しい

間柄となるのだ。

余談だが、大西が自決に使った刀は

児玉が贈ったものといわれるのだ。

児玉はこのような経緯で、

「児玉機関」と呼ばれる店を

上海に出したのだ。

児玉は、タングステンやラジウム、

コバルト、ニッケルなどの戦略物資

を買い上げ、海軍航空本部に納入

する独占契約をもらっていたのだ。

児玉機関の任務は、海軍航空本部に

軍需物資を調達するほか、中国や

南方での諜報・工 作活動、

さらには抗日スパイなどの摘発も

行っていたとされるのだ。

戦略物資、とくにタングステンを

得るために、日本のヘロインを

売っていたのだ。

児玉はこの仕事でダイヤモンドや

プラチナなど、一億七千五百万ドル

相当の資金を有するに至ったと

言われているのだ。

戦後、児玉は海軍の隠れ資産を

持って帰国したのだ。

その資産は 後に自民党の政治資金に

なったと言われるのだ。

児玉は、政治家だけでなく

GHQ・CIAは もとより暴力団など

へのパイプを持っていたとされ

「政界の黒幕」と呼ばれ暗躍したのだ。

児玉は、ロッキード事件で有名な

アメリカの航空会社ロッキード社の

代理人になり、

日本政府や全日空に戦闘機や

ジェット旅客機を売り込んだのだ。

そのときの賄賂の金も政界工作に

使われたとされるのだ。

ロッキード社が児玉自身にも多額の

賄賂を渡していたことが明るみに

出ると、児玉は脱税と外為法違反で

在宅起訴されたのだ。

判決が出る前の一九八四年に

七二歳で亡くなったのだ。

戦後最大のフィクサーといわれる

児玉は、文字通り多くの謎を墓場まで

持って行ったわけなのだ。

水田機関

水田光義によって上海で設立された

特務機関で表向きは商事会社

東光公司であるのだ。

この機関も、児玉機関と同様に

海軍航空本部に軍事物資などを

納めたのだ。

水田はそもそも詐欺師であったのだ。

あの財界におけるまとめ役として

「財界官房長官」「財界幹事長」

の異名を取った今里広記が水田に

引っかかり丸裸にされたのだ。

水田はその後、上海で商事会社

東光公司(水田機関)を経営していた

のだ。

そこへ遅れて参入してきたのが

前述の児玉誉士夫であったのだ。

児玉は海軍航空本部に納めるための

戦略物資 を当初は水田が経営していた

商事会社東光公司を通じて調達して

いたが、

水田機関のピンハネが余りに

ひどいことに気づいたのだ。

一九四三年、児玉は利権を独り占め

にするために水 田を殺害したと

いわれるのだ。

まるで、ヤクザの世界のような

有様であるのだが、これも、

特務機関の一面を象徴しているのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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