どうも村田です

スターリンが要求
したのは、地図でいう
北側の留萌(るもい)
から南の釧路まで結ぶ
北側の占領を要求して、
それを計画していたと
言われているのだ
しかし、同じころに
アメリカが作った
分割占領案というのが
あり、
結局これは取り入れ
られなかったのだが、
これは連合国で分割占領
するという案があったのだ。
これによると北海道から
東北はソ連、それから
東京の一部もソ連だという、
こういうような占領案
もあったのだ。
もちろんロシアは
こういうことも考えた
のだと思うのだ。
ここで重要なことは、
ソ連というかロシア
というのは国際法を
簡単に破って、
簡単に暴挙に出る国、
当時からそうだった
のだ。
やはり地政学的に
言うとハートランド、
大陸国家だから、
常に攻めていないと
領土を侵略されて
しまうという脅威、
侵略に対するこの脅威
がすごく大きくて、
常に外部に向かって
攻めていないと
不安で仕方がないのだ。
田村幸策さんの
『ソヴィエト外交史研究』
によると、
ソ連は革命後の国際社会
に復帰し始めた1926年
から41年までの15年間に、
周辺諸国15カ国と
不可侵中立条約を
結ぶのだ。
しかしながら、
独ソ不可侵条約、
バルバロッサ作戦。
それでドイツが
攻め込んだ以外、
日本を含む14カ国に
対して
一方的に条約を破って
侵攻しているのだ。
つまり、当時から条約
なんてあってないような
ものなのだ。
そういった国際法を
簡単に破るような国
だったのだ。
今も昔も国際法を無視
して外敵を異様に恐れて
暴挙に出る、
領土拡大病に取りつかれて
いるというふうに、
こういうことを樋口は
熟知していたわけなのだ。
この領土拡大病とは
非常に重要なキーワード
なのだ。
ロシアを考えるに
あたって、外敵を
異様に恐れて
暴挙に出る領土拡大病
というのは、これは
ロシアのプロフィール
として
われわれは認識して
おかなければならない
と思うのだ。
この窮地をどう
乗り越えたかという
ことなのだが
18日未明に占守島に
侵攻してきたことに
対して、
一言で言って不法行動を
絶対許さないというふうに
反応したのだ。
彼の手記にこうあるのだ。
「18日は戦闘行動の
最終日であり、戦争と
平和の交代の日である。
本来はそうあるべきだった。
しかし、強盗が私人の
裏木戸を破って侵入すると
同様の武力的奇襲行動を
開始した」、
強盗が私人の裏木戸を
破って侵入してきたと、
これは面白い表現なのだ。
「この不法行動を
許したら、至る所で
不法かつ無知な行動が
発生し、平和的な
終戦はあり得ない」
と、全くその通りなのだ。
こういう不法行動ばかり
起こしているから、
今回のウクライナも
平和的な終戦は
あり得ないのだ。
そして千島列島を
ポツダム宣言に基づく
日本投降によることなく、
これは大事なのだが
自軍交戦の結果として、
自分が戦争して実力
占領した、
占領したという
既成事実を狙って
いたのだと、
武力で占領したものは
絶対返さない、自分
たちのものだと、
そういうような領土
拡大病に取りつかれて、
力で奪ったものは絶対
自分たちのものだという、
そういうソ連の狙いも
見抜いていたということ
なのだ。
そういう既成事実に
あるという、このまま
平和的に解決しても、
千島列島はヤルタ密約に
基づいて主張できるのだが、
もっとさらに攻め込んで
既成事実を作って北海道
を取ろうとしたと、
こういうことだと思うのだ
これが回想録と遺訓で
樋口隆一さんがここ数年
で上梓されているのだ
そしてどうしたかというと
なのだが、これから
具体的に幾つか少し彼が
やったことを
説明したいと思うのだが、
まず、大本営の命令に
従えば、
18日午後4時には戦闘を
終えなければいけなかった
のだ。
そうすれば、ソ連に
じゅうりんされて
無血占領されてしまう
のだ。
だから午後4時までで
あれば自衛戦争は
許されていたのだ。
しかし、4時以降も
戦わなければロシア領に
されていた、窮地に
立たされたわけなのだ。
そこで、大本営には
お伺いを立てずに、
独断で現地軍に
「反撃せよ」と、
「断固反撃せよ。
ソ連を撃滅してしまえ」
と命じているのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

