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希望を掛けたんじゃ

どうも村田です

イギリスの蒋介石の

支援ルートを断つ

ために、

北部仏印への進駐が

非常に大きな誤解を

受ける、

また松岡が立役者として

成立した日独同盟が

大変なアメリカへの悪い

感情を与えてしまうのだ。

松岡という人は、

「力に対するには力を

もってするよりほかは

ない」という、

その力の信奉者なのだ。

この信念に基づいて

考えると、

「アメリカがわが国に

与えてくれる圧力に対して、

ドイツとの軍事同盟という

力をもって耐えるより

ほかはない。

かつ日独伊三国同盟には

将来ソ連を加える可能性

がある。

そうなればこの4つの国の

同盟に対して、アメリカ

は到底手を出せない」

というのが松岡の腹

だったのであるのだ。

だから、三国同盟の

実現はほとんど松岡の

独り舞台で実現したと

言ってよいだろう。

東條は、陸軍が以前

からドイツとの同盟に

乗り気になっていた

という空気の中に

いたわけであるけれど、

彼はヨーロッパの政治

情勢については本当に

理解も知識もほとんど

なかったのだ。

ヒトラーやムッソリーニ

の思想がどのようなもので、

それがイギリス、アメリカ

のような資本主義国から見て

どんなに危険なものであるか、

そしてもしナチス・ドイツ

の思想が政治活動として本当

に表に現れた場合、

イギリス、アメリカ両国は

それに対してどのように

対応するかといったような

想像を巡らす知識・素養が

全くなかったのだ。

要するに東條の場合、

「松岡の言い分を信ずる

よりほかはない」

という地位にいたのだ

昭和15年は皇紀2,600年

なのだ。

私事だが、この年の4月に

尋常小学校に入学して、

小学校1年生として、

このめでたい年の経験を

しているのだ。

いろいろな祝典、行事が

あり、それから11月10日

のことであるが、

皇居前の広場で大きな

記念式典が行われたのだ。

この時に、近衛総理大臣

の国民的人気が絶頂に

達したと言ってよいだろう。

それが小学生の目にも

実に輝かしいものに

映ったことを覚えて

いるのだ。

そして、その祝賀気分

にもかかわらず、

そろそろ長引いた戦争の

影響によって、

国民の日常生活に欠く

べからざる生活必需品の

物資にも、

とかく不足をきたし

始めたということも

また覚えているのだ。

子どもにもその不自由

さが目に映るような形

でもって、身辺に具体化

してきたのだ。

その長引く戦争という

のは、もちろん支那事変

のことなのだ。

その支那事変の解決は、

少なくとも停戦の成立を

目指して、

アメリカの仲介による

よりほかないとの公算が

強くなりなるのだ。

これも考えてみれば

変な話なのだ。

「中華民国といくら交渉

してもらちが明かない。

それならばアメリカに

その仲介を頼もう。

そこで交渉相手は

中華民国からアメリカ

に移ってしまう。

現状打開の鍵は

日米交渉の進展にある」

という状況になって

しまうわけなのだ

ところが、この日米

交渉がまた変な話で、

実は外交ルートを

通じてではなく始まる

のだ。

昭和15年の11月に

アメリカ人の2人の

カトリックの神父が

日本へやって来て、

これもまた日本のある

民間人の組織に打診して、

日米交渉を持ちかけるのだ。

日本側も

「あるいは」という

望みをかけて、

近衛総理大臣がこれを

民間の組織から正式の

外交ルートに乗せる

ということを望むのだ。

そこで陸軍省の軍事課長

を日本側の交渉役に充て

るのだ

この日米間の相互の

了解があるところまで

進めば、

あるいはアメリカの

大統領が蒋介石に向けて

和平を勧告するという

ことが希望できる

という筋書きもない

わけではないと

思われたのだ。

ところが、この程度の

諒解(りょうかい)案

の形がつくまでには

かなりの時間がかかり、

これには早く始まった

にもかかわらず、

「こういう案でどうだろうか」

という初案が日本に

着いたのは昭和16年の

4月18日なのだ。

近衛は、早速その晩、

政府と統帥部の連絡会議

を招集して、この案を

披露するのだ。

陸軍も海軍も、

「ようやく事変の解決

の光明が見えた。

これを出発点として

日米交渉を進める」

ということに同意して、

これに希望をかける

わけなのだ。

まさに日本の朝野を

挙げての希望が日中

交渉を日米交渉で

支援してくれるという

形だったのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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