どうも村田です

これはたまたま偶然なのだが、
頭文字を取っていくと、
spiritual(スピリチュアル)、
ecology(エコロジー)、
animism(アニミズム)
でSEAになったのだ。
21カ国の大使というのは、
当然欧米だけではなくて、
アジア、アフリカ、
いろいろな大使がいるわけだが、
そのキーワードを出した瞬間に
「何、アニミズムだったの?」
という話になって、一気に
そこで大使との距離がぐっと
詰まったのだ。
それと、もう1つ評価に値
されたのが、うちは
世界文化遺産なのだが、
世界文化遺産の周辺を
「バッファゾーン」
と言うのだが、
バッファゾーンはここで言えば
海になるわけなのだ。
海の環境問題のことをやっている
ということがユネスコで評価
されて、
そういうことをやっている
のはうちだけのケースだった
ので、
そういうものが相まって、
1ヶ月間の間にひっくり返った
という感じなのだ。
その3つの言葉を聞いた時に、
「ブラボー」と思ったのだ。
しかし、それこそ「普通に」
と言ったら失礼だが、学者の
先生方ではなかなか
思いつかないような発想
だったなと思うのだ。
恥ずかしい話なのだが、
神社本庁にいた時に国際課長を
やっていたのだ。
英語ができないのに国際課長
をやらされたのだ。
比較的ポジティブなのだが
1ヶ月ぐらい悩んだのだ。
当然、役員の方には
「私、英語できないんです
けど。この人事はやめた方が
いいですよ」
ということを進言し、
申しあげたのだ。
もともとこういう性格なので、
「そうか、日本語ができる
外人と付き合えばいいか」
ということで、
東京には各国の大使が
いますから、大使たちとの
お付き合いを始めるわけ
なのだ
もともとできないけれど、
外国に行ったりすると、
何かコミュニケーション
ツールでキーワードを出す
ではないですか?
英語圏ではない所でもそう
だが、その時は、必ず共通言語
を探すでしょう?
そこからコミュニケーション
が始まるではないですか。
これが身に付いていたから、
「共通言語、キーワード
を見いだそうよ」という
ことになったのだ。
それで大使たちのハートを
ぐっとわしづかみにした
のですか。
だから、多分英語がべらべらな
人だとか、ドイツ語がべらべらな
人というのは、
それはそれで優秀なのだが
出来の悪い人間は、常々
コミュニケーションを取る時
にはそういうふうにしてやるので、
「これしかないな」
ということになったのだ。
スピリチュアルやアニミズム
というのは神道人だから出て
きやすかったのかなとも思うし、
エコロジーはまさに
国際環境会議などをやって
おられて、
そういったそれぞれの要素を
体の中に染み込ませた宮司さん
だからこそ出てきた発想かなと
思うのだ。
そういうことはないと思うけれど、
やはりこれも、社会人になった
ころはアニミズムだとかと
いうものは
下等な宗教みたいな感じで、
日陰の宗教というか、
原始宗教みたいな
カテゴリーになっていた
のだが、環境問題という
問題を抱えるようになって、
そういう自然崇拝など、
そういうものが一気に
見直されてきたのだ。
これは別に日本独自のもの
ではないし、アメリカには
ネイティブ・アメリカンの
そういう世界があるし、
先ほど言っていた
オーストラリアには
アボリジニみたいな人たち
がいるし、
ヨーロッパでもケルト文化
などがあるし、それらの
根っこは全部一緒なのだ。
そういう中で、まさに
心の問題に直結するのだが、
やはり
「こういうものをもう1回
取り戻さないと、環境
というのは再生しないよ」
という世界世論が出てきて、
ようやく日の目を浴びたわけ
なのだ
それがちょうど世界遺産の
時にぴたっと合ったという
感じなのだ。
すごく誇らしく思うし
今、日本の存在感は、世界の
中でまだ知る人ぞ知るかも
しれないのだが、
注目され始めているなと
思うのだ。
それは経済とか技術とか
ということも、今までは
あったと思うのだが、
それとは別に、
スピリチュアルな面で、
神道が持っている底力
みたいな観点からも
注目され始めているような
気がするのだが、宮司さん
としては
「神道というものを中心に
据えてきた日本が、今後こう
いう形で世界に貢献できるな」
と思われるのは、どういった
点だろうか?
貢献というか、もともと
人間が原始的に持っていたもの、
これは神社に限らないのだ。
語源に近いかもしれない
けれど、共通なものがあって、
幸いにして日本というか
神社にはそれが今でもあるのだ。
そこをもう1回呼び覚ます
というか、日本にあるものから
類推していくということになると
思うが、
その際にやはり重要な
ポイントは時間軸だと思うのだ。
神社というのは、軽く2,000年
ぐらいの歴史を超えるのだ
「サステナブル、持続可能」
という言葉はというのは、実は
みんな持続の時間軸を言って
いないのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

