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闇に埋もれたんじゃ

どうも村田です

茂川機関

茂川秀和少佐(陸士三〇期)が

設立した特務機関で、

天津陸軍機関に所属。

主に中国国内での阿片の密売を

行った他、盧溝橋事件での工作

を行ったとも言われているのだ。

茂川は関東軍の幹部として

堪能な中国語力を生かし

中国で諜報活動を行っていたのだ。

盧溝橋事件は、日本軍と

中国国民革命軍(中国国民党軍)

による衝突事件で、

その発端となった最初の十数発

の射撃が日本側の謀略か

抗日勢力によるものかは不明

とされているのだ

この事件には、茂川が関わって

いたとの憶測もあるが、真相は

闇の中であるのだ。

松機関

上海に本部が置かれた特務機関で、

現地での情報収集や中国国内での

阿片の密売、

さらには「杉工作」という

秘匿名で、中国国内への偽札の

流通工作までも行ったのだ。

一九三九年、陸軍省と参謀本部

は中国に対する経済謀略実施計画

を作成したのだ。

その秘匿名が「杉工作」なのだ。

「杉工作」の目的・目標は

中華民国・蒋介石政権の法幣

(ほうへい)制度

法幣とは蒋介石政権が

一九三五年一一月三日に幣

制改革を行い、

政府系銀行が発行した銀行券

不換紙幣を崩壊させて

国内経済を撹乱し、

同政権の経済的戦力を壊滅する

ことであったのだ。

そのために、偽札を大量につくり、

中国国内に流通させようとした

のだ。

偽札の製造は登戸研究所で

行われたのだ。

銀行や印刷会社のノウハウも

総動員し、必要に応じて

民間の工場も利用したようだ。

国の総力をあげて偽札づくりに

精を出したこともあり、

かなり精度の高い偽札が

できたのだ。

中国に運んで市場に流通させる

工作を担ったのは中野卒業生

たちだったのだ。

月に二回ほど、日本で製造

された偽札をトランクなどに

入れて、長崎から上海まで

運び込んだというのだ。

日本で偽造した大量の偽札は

全体量の一〇〇分の一程度で

しかなく、法幣マーケットの

ハイパーインフレに飲み込まれて

しまい、経済撹乱は不成功に

終わったのだ。

風呂桶に洗面器一杯の水を

入れるくらいの比率では、

あまり効果がなかったのだ。

ただ、この偽札で軍需品などを

大量に購入することができたのだ。

余談だが、このような偽札工作は、

現在でも世界中で行われているのだ。

韓国の中央日報紙は

二〇一一年五月八日の

「偽札大国の北朝鮮、自国

通貨の偽札に苦しむ」

と題する記事で

北朝鮮が偽ドルを製造している

様子を次のように報じているのだ。

〈北朝鮮は偽一〇〇ドル札の

「スーパーノート」を製造・流通

させたという疑惑をたびたび

受けている。

米韓情報当局は北朝鮮の

偽札製造を平安南道

(ピョンアンナムド)

の平城(ピョンソン)市にある

平城商標印刷工場で行われている

と把握している。

この工場は韓国の韓国銀行に

相当する朝鮮中央銀行の

傘下機関で、

労働党財政経理部の指導を

受ける。この工場は、鉄壁の

警戒と出入り規制がなされて

いるという。

内外の貨幣専門家らは、

北朝鮮の紙幣製作技術は

水準級だと評価している。

情報当局は北朝鮮が

各種違法活動のため常に

偽札製作技術をアップデート

しているとみている。〉

松機関の偽札工作は、当時

としては画期的な謀略であり、

先見性のある工作だったとも

言えるのだ。

里見機関

阿片王である里見甫【はじめ】

によって設立された民間の

特務機関なのだ。

関東軍と連携し中国国内での

阿片の密売などで裏金を作り、

その資金で関東軍への武器や

資材調達に関わったのだ

阿片販売商社の「宏済善堂」は、

何と、政府や興亜院が肝いり

(国策)で立ち上げたのだ

というのだ。

その「宏済善堂」の責任者が

里見甫であったことから

里見機関と呼ばれるように

なったのだ。

「おしえて!ゲンさん!」

というブログ里見甫について

次のように述べている

〈里見は、大陸浪人のような

形で中国の新聞界に身を置き、

その後奉天で関東軍第四課

(政策を担当)の宣伝工作を

担当します。

そこで多くの軍人から信頼を

受け、軍が表面に立てない

特殊工作を任せられるように

なりました。

当時、軍としては阿片密売

による資金稼ぎを企てたが、

昭和天皇がしきりに軍の阿片

への関与を気にされる発言を

されていたため、

表立った行動は取れず、

隠れ蓑として別機関を作る

必要に迫られていました。

丁度その頃参謀本部第八課

(謀略担当)の課長になった

影佐禎昭大佐は、

信頼厚い里見甫に裏機関を

任せたと言われている。

里見はその後阿片の販売

(特にイラン産阿片)に力を

入れ闇の帝王として君臨する

ようになったのです。

アメリカ軍は里見を

最重要人物としてマーク

していました。

敗戦時カバンひとつで帰国し

しばらく潜伏しましたが

一九四六年に民間人A級戦犯

第一号として逮捕されました。

しかし何故か無罪放免になりました。

もしかしたら連合国や

中華民国も里見と裏で関係が

あったとされていますので、

曝露されるのを嫌がったのかも

しれません。

里見が無罪放免になったため

膨大な阿片に関する記録は

闇に埋もれてしまいました。

里見は一九六五年に亡くなり

ました。六八歳でした

戦中、中国や満州で活躍した

政治家や経済人の殆どが

里見の世話になったといわれます。

そのせいで葬儀は大変盛大で、

日本の政財界を代表する人物が

殆ど焼香に来たと言われ一日

では終わらなかったそうです〉

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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