Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

最高級の名言なんじゃ

どうも村田です

「いつの世も今を

生きる者が、今は亡き

人々に対して

どういう姿勢で臨むべきか」

ということを教えてくれる

名言なのだ

同じころ、松陰が書いた

「諸友に語ぐる書」

にもこういう一文があるのだ。

「私の死を悲しんで

くれるより、私という

人間を良く知ってくれた

方がうれしいのです。

そして、私という人間を

良く知ってくれるよりも、

私の志を受け継いで

それを広め、

大きなものにしてくれる

方がもっとうれしいのです」

「我れを哀しむは我れを

知るに如かず。我れを知る

は吾が志を張りて之れを

大にするに如かざるなり」

以上だが、この一文も

私たちが今は亡き人々に

対してどう臨み、

そして自分自身はどう生きて

いくかということを教えて

くれる名言かと思うのだ。

こうして、松陰はいよいよ

最後の著述の執筆に取り

掛かるのだ。

その著述こそが

『留魂録』

なのだ。

読者として松陰が想定して

いたのは自分の門人たち

だったのだ。

つまり『留魂録』は、

自分のすべての門人たち

への遺言書ともいうべき

性格の著書なのだ。

10月25日から書き始め、

書き終わったのが翌26日

の夕方なのだ。

そして翌日の27日、

松陰は数え年30歳、

満年齢では29歳で処刑され、

武蔵の野辺に散って

いくのだ。

『留魂録』

の冒頭にはこういう和歌が

書かれているのだ。

「身はたとひ武蔵の野辺に

朽ぬとも留置かまし大和魂」。

歌の意味はこうなのだ。

「たとえ私の身は武蔵の

野辺で朽ち果てようと、

私の魂は永遠にこの世に

とどまらせて、祖国日本を

守らせてください」。

その後には、これまでの

法廷闘争の様子が詳しく

書かれており、

松陰は同志の中に自分に

連座する者を出さないで

済んだことを何より喜んで

いたのだ。

現代人なら

「迷惑をかけずに済んだ

から喜んだんだろう」と

すぐ思うだろうが、そうでは

ないのだ。

松陰は、1人でも多くの

同志が生き残った、そして

その生き残った同志が

尊皇攘夷の志を継いで

自分の戦いを継続して

ほしかったから、

連座する者がいなかった

ことを喜んだのだ。

「志を継いで祖国

日本を守ってほしい」、

そのような思いは

『留魂録』

の中で最も感銘を受けて

いるのだ。

そこには、松陰が最後に

到達した死生観が透き通る

ような美しい文章で書か

れているのだ。

多分これは松陰が書き

残した膨大な文章の中でも、

最高級の輝きを持つ名文なのだ。

それどころではなく、

「この一文は建国以来の

日本の思想史のうえでも

最高級の名文ではないか」

とさえ思っているのだ。

「人間とは、自分の死を

これほど美しく静かな心で

迎えることができるものなのか」

と思わせられる一文なのだ。

しかも、そのような

極限状態にありながら、

この一文にはどことなく

不思議な明るさと透明感が

漂っているのだ。

いわゆる安心立命の境地

というのは、こういう

境地のことを言うのかも

しれないのだ。

現代語訳で書くのだ。

「今、私は死を前にしても

穏やかで安らかな気持ちで

います。

それは多分、春夏秋冬

という四季の循環について、

こういうことを悟ったから

です。

皆さんもよく知っている

稲のことを思い出して

みてください。

稲は春に種をまき、夏に

苗を植え、秋に刈り取り、

冬には収穫を蓄えます。

秋になり冬になると、

人々はその年の1年の

仕事が実を結んだことを

喜び、酒や甘酒を造り、

村も野も喜びの声で

満ちあふれます。

いまだかつて収穫の時を

迎えていながら、その

ことを喜ばず、

その年の仕事が終わる

ことの方を悲しんでいる

人がいたなどという話は

聞いたことがありません。」

「私は今30歳です。

何一つ成功させることが

できないまま30歳で

死んでいきます。

人から見れば、それは

例えば稲が稲穂が出る前

に死んだり、

稲穂が実る前に死んだり

することによく似ている

かもしれません。

そうであれば、それは

確かに惜しいことでしょう。

しかし、私自身、私の人生

はこれはこれで1つの収穫

の時を迎えたのではないか

と思っています。

どうしてその収穫の時を

悲しむ必要があるでしょう。

そもそも人の命には

あらかじめ決まった年数

などというものはあり

ません。

稲は必ず四季を経て実り

ますが、そもそも人の命

とはそのようなものでは

ありません。」

名言の

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

Follow Me