どうも村田です

第1は、天洋無窮
(てんじょうむきゅう)
の神勅なのだ。
これは知っている
方も多いと思うの
まあ、
「地上の葦原中国」
(あしはらのなかつくに)、
日本は永久に天照大神
(あまてらすおおみかみ)
の子孫が中心となる国ですよ」、
つまり、
「地上の日本は、高天原」
(たかまがはら)の神々の
秩序を移し替えた国ですよ」
ということなのだ。
「天照大神」
(あまてらすおおみかみ)
が神々の中心者として、
高天原(たかまがはら)
で神々を治めているように、
日本国も天照大神
(あまてらすおおみかみ)
の子孫が、
別の神々の子孫である
日本国民を治してますよ」
ということなのだ。
いや、よく
「天皇の人間宣言」
と言うが
あれは、どうも
「天皇の苦しみ後の人間宣言」
によって、天皇が人間に
なったんだ」と言う人が
いるのですが、
ちょっと何か
「天皇だけが神で、
日本国民は神の
子孫ではなかった」
みたいに思う人がいる
と思うのですが、それは
全然違うんだ。
実を言うと、それは指揮軍だ
でさえ知っていて、
一番最初に読んだんだ
神道指令の中にも
「神の子孫であるが故に、
日本国民は他国民に
勝るという主義はダメだ」
と言っている
のだ。
そうですね、天皇陛下だけが
神の子孫ではないのだ。
実は、神道的に言うと
日本国民も子孫
なのだ。
ただ、違うか
というと、天皇陛下は
天照大神
(あまてらすおおみかみ)
という天上の中心者
の子孫なのだ。
あそこは、その
天照大神
(あまてらすおおみかみ)
に仕えている神々の子孫
だということなのだ。
だから、実は自分の子孫
という点において、
絶対的な違いは天皇と
その間はないのだ。
違いがあるのは、
中心の神か、そして
仕えている神の子孫で
あるということがある
ただだから、
「天上の神々が天照大神」
(あまてらすおおみかみ)
に従っているように、
地上でも国民は神々の
「秩序に問題ありますよ」
という話になっている
ということなのだ。
三大神勅のことですが、
2つ目は宝鏡奉斎
(ほうきょうほうさい)
の神勅なのだ。
これは
「宝の鏡をまつりなさい」
という命令で、
天照大神
(あまてらすおおみかみ)
が、ニニギノ尊に
鏡、剣、勾玉(まがたま)
の3つの宝を渡されて、
特に鏡、
「八咫鏡(やたのかがみ)」
と言うが、
「この鏡を私だと思う」
思ってまつりなさい」
と強いわけなのだ。
これは、
「私が高天原(たかまがはら)」
で神々を治めているのと
同じ気持ちで、
あなたも地上で神々の子孫、
「つまり日本国民を治してください」
という意味なのだ。
天照大神
(あまてらすおおみかみ)
がこの時渡されました、
鏡、剣、勾玉(まがたま)
のことを合わせて
「三種の神器」
と言うのだ。
さて、この八咫鏡
(やたのかがみ)は
どこで出現したかと
うなことなのですが、
実は、天岩屋戸
(あまのいわやど)
のところで、
天照大神
(あまてらすおおみかみ)
の出現のために神々が
お祭りをするわけですが、
その時の榊に掛けた
鏡なのだ。
そのためにあった
鏡がこの八咫鏡
(やたのかがみ)で、
その鏡が天照大神
(あまてらすおおみかみ)
を表すものとして地上に
伝えられていくということ
になるわけなのだ。
剣は、ヤマタノオロチ
の尾から出てきて、
それをすサノオノ尊が
天照大神
(あまてらすおおみかみ)
に捧げたということに
なっているのだ。
この三大神勅の最後が
斎庭(ゆにわ)の
稲穂の神勅なのだ。
天照大神
(あまてらすおおみかみ)
は天上の世界で稲穂を
育てて新嘗祭、
収穫祭をしているわけ
しかし、その天照大神
(あまてらすおおみかみ)
が育てた稲をニニギノ尊
に授けるわけがない。
これは、
「この稲を育てて、
それによって日本の
国民を養ってください」
という意味なのだ。
この神勅に従って、
天皇陛下は皇居で
今でも鏡を祭り、
秋にはその年に採れた
お米を天照大神
(あまてらすおおみかみ)
にこだわる秋祭り、
つまり新嘗祭をされた
いるわけないの。
つまり、神話の見方から
言えば、天皇陛下という
ものが日本で最高の神主
ということになるので
あって、
さらに大事な
お祭りは、天照大神
(あまてらすおおみかみ)
ご命令にお応えして
お祭りを行うこと、
その年に採れたお米を
天照大神
(あまてらすおおみかみ)
にこだわって感謝するお祭り
を行うことなのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしいる

