どうも村田です

この話からも
日本人独特の社会化
というものが見えて
くるのだ。
それは、能力の高い
人がいくら集まって
いても、秩序を保つ
中心者がいなければ
社会は混乱して
どうにもならなくなる
だろうということなのだ。
また後からお話の中に
出てくるけれども、
高天原(たかまがはら)
にはオモイカネノカミと
いう最も知恵に優れた
神様もいたし、
タヂカラオノカミという
最も腕力に優れた神も
いたのだ。
それでも混乱は抑え
られなかったわけなのだ。
天照大神
(あまてらすおおみかみ)
は太陽の神ということで、
やはり、中心者は個別の能力
が優れているかどうかではなく、
人々に光を与える、つまり、
「励まし、力付け、周りの
人々の能力を引き出す、
あるいはそれを十分に
発揮させるという存在で
あるべきだ」
という考えがここに
あるようなのだ。
ついでに言うと、
スサノオノ尊が大暴れ
する場面で、
天照大神
(あまてらすおおみかみ)
が稲を育てていた田んぼを
荒らして、
その収穫祭を行う神殿に
くそをまき散らし、布を
折る機殿(はたどの)
に殺した馬を投げ込んだ
ということになっている
のだ。
ここから何が分かるか
というと、天照大神
(あまてらすおおみかみ)
も何かもっと上の神様を
まつっていた、祈っていた
ということなのだ。
日本神話で活躍する神様
というのは、実は祭られて
いるばかりではなく、
自らも何かを祭って
いる存在なのだ。
実は、神様も最終的な、
絶対的な存在ではなくて、
その奥にある無限に深い
神秘そのものが流れ出る通路で、
神主のような存在としても
捉えられると思うのだ。
和辻哲郎という方がいた
のだけれだ、その方は
神話の解釈を
「日本人は絶対というものを
想定していないわけではない。
想定してはいても、
その働きを絶対的なるもの
無限なるものを中心とはしない。
それはなぜかというと、
人間が絶対的なものを表現
しようとした時に、必ず人間
としての限界があって、
絶対的なものがあったとしても、
人間が語る段階で、すでに
それは限定的なものになって
しまうというふうに考えていた
からではないか。
唯一絶対なものはあるかも
しれないけれども、有限な
知覚しか持っていない人間が
捉えることは不可能なので、
人間の言葉で表現した瞬間に
有限なものになってしまう。
だから、絶対者については
語らずに、その部分的な働き
に限定して語るのが、
絶対者に対する最も適切
な接し方ではないか」という
ようなことを言っているのだ。
話を神話に戻しますと、
困った神々は、天の安河原
(あめのやすのかわら)
というところに集まって
対策を相談するのだ。
その時に、
オモイカネノカミという
知恵の神様の提案で、
天岩屋戸(あまのいわやど)
の前でお祭を行うことに
したのだ。
お祭を行って、天照大神
(あまてらすおおみかみ)
が不思議に思って戸を
開けた時に、
タヂカラオノカミという
力の神様に引き出して
もらおうという計画を
立てるわけなのだ。
この計画がうまくいって、
再び天照大神
(あまてらすおおみかみ)が
高天原(たかまがはら)
の中心者に復帰する
ということになるのだ。
ここからも、日本人の
ものの考え方の原型が
いくつか見えてくるのだ。
1つは、共同体の意思は
話し合いによって決定する
ということなのだ。
今の言葉で言う
「民主政治」、
これを神々が行っている
わけなのだ。
決して天照大神
(あまてらすおおみかみ)
の独裁ではないのだ。
ここに、後々の日本国家の
基本的な仕組み、あるいは
運営方法の原型があるのだ。
実は、この時に天岩屋戸
(あまのいわやど)の前で
行った祭りや踊りが、
神道の祭祀の原型にも
なっているのだ。
神籬(ひもろぎ)を立てる、
鏡をそこに付ける、
祝詞を読む、神楽を舞う、
そして楽しく騒ぐ、
直会(なおらい)、
宴会なのだ。
実は、この天照大神
(あまてらすおおみかみ)
の出現のシーンを、
「日本人の喜びの感情の
表現の原点である」
というふうに書いている
古典があるのだ。
岩波文庫から出ている
『古語拾遺(しゅうい)』
という本があるけれど、
これは『古事記』
『日本書紀』に次ぐ
古典なのだ。
そこに、その場面が
このように書いてあるのだ。
「此の時に当たりて、
上天初めて晴れ、衆具
(もろとも)に相見て、
面皆明白し。手を伸して
歌ひ舞ふ。相与(あいとも)
に称(となえ)曰(い)はく、
阿波礼(ああわれ)(天晴)。
阿那於茂志呂(あなおもしろ)。
(古語に事の甚だ切なる
皆阿那(あな)と言う
こころは衆面明白
(おもしろき)なり)
阿那多能志(あなたのし)。
(言うところは手を
伸ばして舞うなり。
今楽しきを指して多能志
(たのし)と言うは此の
意なり)」。
つまり、天照大神
(あまてらすおおみかみ)
が出現して、
みんなの顔が光に照らされて
白くなった、ここが面白い
ということなのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

