どうも村田です
まだキリスト教的幻想も
絶えず話の中に出てくる
ような時代なのだ
ポルトガルの軍艦は弾丸、
大砲を放ったりして乱暴を
するのだ
鉄砲が威力を発揮したのだ
しかし、当時この海域の
アラビア海からインド洋に
かけては、
イスラム教徒や多様な宗教
の豊かな地域だったのだ
これがインド洋でこちらが
アラビア海なのだ
温暖で、そして人間が寛大で
寛容で、決して教条主義的
ではなくて、
どちらかというとキリスト
教徒の方が残酷でいけないのだ
一貫してそうだが、キリスト
教の方が暴力的で、そして
dogmatic(ドグマティック)
で狂信的だったのだ
それに対して、イスラム教の
方が寛大だったのだ
それを全部ひっくり返す
ようなことをやるわけなのだ
さて、やがてこちらに出て
きてからこの海をどういう
ふうに支配したかというと、
「ポルトガルの鎖」
という言葉があるのだが、
海から海上を封鎖したのだ
船団が鉄砲の威力で海上を
押さえて、自分の土地でも
ないのに出張って行って、
そこに船団を並べて外から
出入りする船を管理、監督し、
通行書を発行してそれに
違反したやつは射殺とする
ことにし、
そしてそこで高い税金を
取ったのだ
当然われわれの考えだったら、
ここはムガル皇帝が支配する
インドだから、軍を派遣して
そのようなものは駆逐するはず
なのだ
そういうことをやらないのだ
日本にも関係があることを
今話しするわけなのだが、
調べていてどうしても
分からない不思議なことは、
インドの国王である
ムガル皇帝が、目の前で
やられているのに寛大で、
追跡したり攻撃したり
反撃したりしないのだ
基本的に貿易ができれば
いいという、内国利益主義
なのだ
国内の利益さえ上がって、
そこで商売さえできれば
海はどうでもよくて、
海上を制覇するという考えが
日本人と同じようにインド人
というかこの辺りの人には
なかったのだ
承知のようにイスラム教は
すでにこの辺りを制覇して、
ずっとイスラム教の支配
なのだ
だけれど、海上を制覇する
という考えがないから、
わずか7隻の船で出ていっても、
「自分たちのものだ」
とやるのは西洋人だったのだ
それが実力にふさわしい
わけでもなく、まだスペイン、
ポルトガルの時代にはその
実力は、
日本の船を含むたくさんの
船がこの辺をうろうろ
している中で、
10艘あったらヨーロッパ
の船は1艘あればいいぐらいで、
20分の1ぐらいの船が動いて
いただけだったのだ
決してヨーロッパの船が
世界を支配したわけでも
何でもないのだが、
後々それが大変なことに
なってくるわけなのだ
つまり、
「唾をつけたものは私のもの」
というのが彼らの考えなのだ
日本の方へ出てきて種子島に
鉄砲伝来したのもその時期
なのだ
そして、彼らはこういう国が
あると、日本のことも知る
わけなのだ
戦国時代末期なのだ
以上のことが前史なのだ
アフリカ海岸からマレー半島
のマラッカ海峡までポルトガルの
海軍が広大な海域を牛耳った
わけなのだ
公の海である公海の航行
自由権というのがまだ
言われていない時代で、
いち早く海の帝国を
築こうとしていたわけなのだ
種子島に鉄砲が伝えられた
のはちょうどそのころの
1543年なのだ
1つ思うのだが、中国は
遅れてきた帝国主義で、
まねをしているのだ
あのようなことをやって、
公海の自由はこれからの
時代に意味がないこと
なのだと思うのだ
しかし、日本にとっては
厄介な話なので意味が
なくはないのだ
当然アメリカは神経質に
なるのだ
しかし、やっていることや
考えていることが時代遅れ
なのだ
例えば、軍の覇権で大きな
パレードをするのもナチス
の時代を誤認しているし、
今やっている海上封鎖も
何かポルトガルやスペインの
時代を誤認しているような
感じなのだ
しかし、それは少し別の話
なのだ
当時のアラビア海や
ベンガル湾沿いの町々は、
自分たちの出入りする
商売の船が暴力的に
管理されたり
略奪されるのを
おとなしく黙認している
事態に疑問を覚えるのだ
「ポルトガルの鎖」
と名付けられたこの政策を、
同じように不思議なことが
日本の近海にも起こって
いたということが
重大なポイントなのだ
秀吉が死んで間もなく
できた海上交易で
朱印船は西洋人に
かじ取りがゆだねられて、
大砲を一切積んでないのだ
ポルトガル船やオランダ船は
大砲を搭載することが
むしろ義務付けられていた
のに、
日本の船は将軍の命令で
武装が禁じられていたのだ。
この事実を知らなかったのだ
まるで憲法9条かのような、
現代日本のごとくであるのだ
ムガル皇帝と同じように、
当時の日本政府も大掛かりな
武装を施した新型船を建造
するよりも、
どうも非武装の商船航行
の方が安上がりで合理的
と考えていたようであるのだ
そうなのかということで
このような記述があるのだ
1600年が関ヶ原の戦いだから、
1610年は何があったか分かる
と思うが
ちょうど徳川幕府ができる
ころなのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる