Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

少し違っとんじゃ

どうも村田です

第1の区切りは、

世界の誕生から、

天地が分かれて

神々と国土が誕生する

というところまでで

なのだ。

ここでは、世界が

どのようにして

出来上がってきたのか

が語られているのだ。

まず、天と地が分かれて、

次に神々が登場して、

その神々は

クニノトコタチノ尊から

始まって、次々に神様が

生まれていって、

最後にイザナギノ尊、

イザナミノ尊という

男女の神様が誕生する

のだ。

そして、イザナギノ尊と

イザナミノ尊が夫婦に

なって、次に国土、

大八洲国(おおやしまぐに)、

日本列島と人民を生むという

わけなのだ。

こうして、世界を構成する

基本的な要素が一応整う

ということになるのだ。

この部分に関して、

いくつか付け加えたい

ことがあるのだ。

それは、日本人が考える

神と、西洋人、キリスト

教徒が考える神とは全然

違っていて、

従って、神と人間との

関係も全く違うという

ことなのだ。

キリスト教の神と人間との

関係は、創ったものと

創られたものとの関係で、

そこには絶対的な差が

あるのだ。

創られたものが

創ったものになる

ということは絶対に

ないのだ。

例えば、この本を私が作った

として、この本が私になる

ということは絶対にないわけ

なのだ。

だから、キリスト教の神話に

基づけば、人間が神になる

ということは絶対にあり得ない

わけなのだ。

ところが日本の神話では、

神と人間との関係は、

生んだものと生まれた

との関係で、

いわば親子の関係なのだ。

この差は、相対的な差

でしかないのだ。

子どもが成長すれば、

やがて親になるのだ。

だから、立派な人に

なれば、神になること

だってあり得るわけなのだ。

この神と人間との関係の

相違は、つまり、

ヨーロッパと日本の神話の

違いに由来している

ということが言えると

思うのだ。

もし日本神話など読んだ

こともなかったとしても、

人が神として祭られている

ことに違和感がなかった

とすれば、

それは知らないところで

日本神話の世界の中に

生きているということに

なるわけなのだ。

ちなみに、英語では

宗教のことをreligion

と言うのだ。

もともとそれは

どのような意味だったか

ということについては

いろいろな説があるのだ

けども、1つは

「再び結び付けるもの」

という意味だという説が

あるのだ。

「神との約束を破って楽園を

追放されてしまった人間を、

再び神と結び付けるものが

宗教だ」という解釈なのだ。

それならば、日本人の場合は

「神と約束したこともないし、

破ったこともないし、楽園

から追放されたこともない。

神様との縁が切れたことが

ないので、宗教は不要だ」

ということになるわけなのだ。

「日本人は宗教を信じていない」

とか、「宗教がない」と

言われてしまうかもしれない

けれど、

それは、そもそも

そのような物語の中に

生きていないからという

ことも言えると思うのだ。

もう1つ付け加えると、

昭和10年代のことなのだが、

日本の国内でも結構

ナチス・ドイツの思想

というものが幅を利かせた

時があって、

日本の神話を

「日本がアジアを支配する

ことの正当化に使おう」

という人々が現れたことが

あったのだ。

実は、その時に反対した

のは神道家たちなのだ。

それは神話を根拠に

反対したわけなのだ。

なぜかというと、

「日本の神々が生んだ

のは日本の国土でしょう。

アジアも世界も生んで

ないでしょう。そこに

住んでこそ日本人でしょう。

だから、外国に対する支配

というのは、日本の神話は

根拠になりませんよ」

というふうに主張したのだ。

この事実はあまり

知られていないのだ。

さて、次の神話の区切り

というのは、

天下の主者

(あまのしたのきみたるもの)

を生むということなのだ。

つまり、地上の中心者、

日本国土の統治者を

生もうとする試みと、

その挫折なのだ。

国生みを終えた

イザナギノ尊と

イザナミノ尊が

次にどうしたかというと、

地上の世界を治める

中心者を生もうとする

わけなのだ。

ここで

『日本書紀』と『古事記』

では話が少し違っている

のだ。

『古事記』の場合は、

火の神を生んだ

イザナミノ尊が亡くなって

黄泉(よみ)の国に行って

しまい、イザナギノ尊が

それを追いかけていって、

悲惨な姿を見て逃げ帰って

きて、汚れたということで

河原でみそぎをして、

左眼を洗った時に

天照大神

(あまてらすおおみかみ)

が誕生したという話に

なっているのだ。

天照大神

(あまてらすおおみかみ)

はイザナギノ尊一神から

生まれているのだが、

『日本書紀』では

そうではないのだ。

『日本書紀』では

イザナギノ尊と

イザナミノ尊の

夫婦から生まれている

ことになるのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

Follow Me