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説明していくんじゃ

どうも村田です

今日まで続く、

中国人と日本人との

歴史に対する考え方の

根本的な違いなのだ

だから、よく

「歴史観が違う」

と言うけれど、普通の

人はそれを

「個々の出来事に

対する解釈の違いだ」

というふうに思うかも

しれないのだ。

しかし、そこは全然

違うのだ。

日本人の場合、

日本史はその時の政府

を正当化するために

書かれるわけではない

のだ。

まさに、起きたことを

そのまま書こうとする

わけなのだ。

何が本当に起きたのか

ということを、史料に

基づいてきちんと書くのだ。

実は、それができるのは、

日本の歴史がずっと

続いていて、歴史によって

今の日本国家の正当性を

証明する必要がないから

なのだ。

そこが大きく違うのだ。

ある近代史の先生が

おっしゃっていたこと

なのだが、

「中国から来た学生に、

史料に基づく客観的な

歴史観ということを伝える

ことは本当は難しいんだ」

と言うのだ。

「え、どうしてですか?」

と聞いたら、例えば

こういうことがあった

そうなのだ。

「君の言っていることは、

この史料に照らせば

間違っているよ。成り

立たないよ」と言ったら、

その学生は

「その史料が間違って

いるんです」と言った

そうなのだ。

「なるほど」と思うのだ。

おそらく、このような

中国の様子をじっと眺め

「そんなことに

なっては大変だ」

と考えた、

そういう思索の結果でも

あったのだと思うが、

古代の日本人は先祖から

伝えられた伝承を

持ち続けて、

「自分たちは神々の子孫

であり、自分たちが造って

いる国家も自分たちを治める

君主も永久に変わらない、

変わるべきではない。

この基軸を守ることこそが

日本の国内秩序を最も安定

させ、平和を保つ道である」

という考えを固めて、

この考えに基づいて歴史を

書き上げたのだと思うのだ。

その結果、四方を海に

囲まれて、外国からの

侵略を受けにくいという

地理的な利点もあったけれど、

日本の国内にはもちろん

戦乱の時期もあったとはいえ、

王朝交代に伴う悲惨な戦い

が繰り返されるということ

はなく、

大陸とは比べ物にならない

ほど平和で穏やかな歴史が

続いてきたのだと考えて

いるのだ。

ちなみに、先ほど

「独自の法体系を作った」

というふうに書いたたけれど、

「大宝律令」

ができたのは701年なのだ。

そこから10年くらいして

『古事記』『日本書紀』

が書かれるのだけれど、

この『古事記』『日本書紀』

というのは、

「律令体制がなぜこういう

法的枠組みでなければ

ならないのか。

なぜこういう仕組みに

なっているのか」

ということを説明する

ために編まれたのだと

いうふうに思っているのだ。

つまり、今の言葉で言うと

憲法前文みたいなものなのだ。

近代憲法の前文は短いけれど、

そこで

「こういう憲法でなければ

ならない。こういう国家の

仕組みでなければならない。

こういう国柄でなければ

ならない」

ということの説明が

まさになされるわけだが、

神話から始まる歴史記述

というのは、まさに

「律令体制がなぜ

このよう形でなければ

ならないのか」

ということを説明したもの

だというふうに思っている

のだ。

では、これから神話の粗筋と、

それについての個人的な解釈

を述べていくのだ。

ただ、個人的な解釈と

言っても

「私が独自に考えた」

という意味ではなく、

数ある解釈の中で、

私の腑(ふ)に落ちたものや、

少し考えを加えたものという

程度なのだ。

「日本の神話は

『古事記』と『日本書紀』

に収録されている」

と言ったが、

実は、『古事記』と

『日本書紀』では

なり中身が違っている

のだ。

特に『日本書紀』では、

編さん者が最も正しい

伝承だろうと判断した

「正文」というものが

まずあって、そのほかに、

さまざまな異なった言い伝え、

「異伝」が収録されていて、

極めて客観的に編さん

されていると言ってもいい

のだ。

これは、

「対外的に日本の歴史を

表現するために書かれた」

と言われているので、

今回は『日本書紀』の

「正文」に従って、

いくつか場面を区切って

説明していきたいと思うのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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