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意を決していくんじゃ

どうも村田です

先生は若い隊員、

難物の上司、さまざまな

方を非常にうまい人間関係で、

別におべっかを使う

というようなことではなく、

不思議、不思議に先生の

ペースにはめてしまう

という特技というのか

分からないけれど、それに

ついてはコツというか、

意図されているところが

あるのかどうか、これを

お聞きしたいのだ。

私は新隊員教育隊長もやり、

それで前期、後期で500~600人

の新隊員を組織をさせたわけなのだ。

当時は、前期、後期で辞める

隊員がすごく多かったのだ。

私は1年半普通科教導連隊の

新隊員教育隊長を命ぜられて

やったのだが、

600人以上の新隊員を養成して、

誰1人として辞めなかったのだ。

それは何かというと、やはり

自衛隊らしい厳しい訓練をやる、

厳しくしつけるというのが、もう

「男が涙を流す」という感じに

なるのだ。

それで、絞り上げたら必ず

素晴らしい成果を一言言うのだ。

私は、本当に厳しい厳しい訓練

を追求したのだ。

ところが、ほかの人たちは

怖くてできないのだ。

私は安全管理を徹底して、絶対に

事故が起きないような対策を講じて、

そして自信をもってやったのだ。

そして、帰ってきたら、

私の十八番で

「『若き時 流さぬ汗は 老いてまた

涙となりて 出ずるものなり』、

みんな、今だぞ、自分を鍛えるのは」

と言うと泣いてしまうのだ。

だから、三島先生も

「滝ヶ原自衛隊で男の涙を知った」

と言ったわけなのだ。

「新隊員から三島由紀夫まで…」

大の大人が男泣き…

人間力を育てる

そうすると、離れられなくなるのだ。

それで、私はもう1つ大事なことは、

情熱だと思うのだ。

やはり、教育は情熱なのだ。

人と接すると、情熱を持って

いれば必ず人の心が動くのだ。

私が、富士学校の教官をやっており

本当に、二等陸尉で教官をやる

というのは、私だけなのだ。

あとはもう、一等陸尉、三佐、二佐

の人たちが学生教育の教官をやるのだ。

だが、二等陸尉で、まだ幹部上級課程

も出ていない初級幹部が堂々と教官を

やっているというのは私だけだったのだ。

私はもう、自分よりも階級が

上の人たちには絶対に負けない

という自信があったのだ。

それは何かというと、教育に

対する情熱なのだ。

それを、防大の学生さんたちが、

ちょうど毎年60人入ってきて、

2個クラスで30人ずつになって、

私の担当時間が100時間近く

あったのだ。

私が持っている授業が、1クラス

100時間で、ある時に、その学生

たちが徳操教育という教育があって、

その時にこういうアンケートを

取ったというのだ。

どういうアンケートかと言ったら、

「あなたが尊敬する人物を、

歴史上の人物と現存する人物で、

それぞれ書きなさい」

というものなのだ。

何と、驚くことにほとんどの

学生が私の名前を書いたと言うのだ。

それで、どこの教官室も蜂の巣を

つついたようになったのだ。

学生を担当しているところは、

訓練班というところなのだ。

そこの訓練班長はものすごく

厳しい人で、気に食わないことが

あったらすぐに

「何だおまえ。火器班の高橋君の

ところに行って教育を受けて来い」

と言うのだ。

それで、みんな来るのだ。

「俺何も知らないけどさ。でもね、

もしかしたら現在何ができるかって

よく艦長が言っているのではないの。

過去に私は偉かったとか、そういう

ことを振りかざしていたら絶対にダメ。

今何ができるかが大事。

昔何ができたじゃないのだ。

今何ができるかが大事だ。

それを班長はみんな見ているはず。

その期待に応えたらどうですか」

と言うだけだったのだ。

しかし、本当に驚いたというより

、当たり前の結果だったのだ。

私は、三夜三日や、三夜四日の

野外訓練でも、夜も寝ないで

学生と対面して、分かるまで

説明をしていくという教育を

やっていたし、

印象教育というのを重視したのだ。

必ず印象教育をすれば、

一生覚えているのだ。

それで、私の教え子で陸幕長

になった人がいるのだ。

彼と1回飲んだ時に、

全部知っているのだ。

「教官、あの時こうやって

言ったでしょう」と言っていたのだ。

それと、富士学校長で来た

教え子もいて、私が行くと

学校長の方が緊張してしまって、

「そんなそんな」

と言ったのだが、それでも

「あの時こう言ったでしょう」

と覚えているのだ。

だから、やはり情熱を持って

接するとそれが印象的で感銘を

受けて、ずっと自分の身に

付いているということが分かったし、

上司になった時に上司というのは

例えば中隊長でも、要望事項や、

方針を述べて、それを掲げておく

のだが、多くの人は具体性がないのだ。

要望事項に具体性がないのだ。

例えば、福山さんの同期で名前は

言わないけれど、中隊長になった時に

中隊長要望事項

「風に向かって進め」

というのがあったのだ。

隊員はわけが分からないのだ。

「風に向かって進め」

と言われても、誰も何もしない

のと一緒なのだ。

やはり要望事項や、方針は隊員が

分かるように、隊員が動けるような

具体的にやることが最も大事なのだ。

人を動かすには分かりやすく

というのが現実だと私は思うのだ。

それから、偉い人というのは

やはりみんな近づかないから

寂しいのだ。

そこを、意を決して行くのだ。

本当に、面白いことを言うと

ゲラゲラ笑ってくれるし、

意外性のあることを言っても、

本当にすぐに親しくなれるのだ。

そのような気持ちで、厳しい人に

好かれたというのはそういうこと

ではないだろうか。

人なつっこくいくということ

だと思うのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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