どうも村田です

リンドバーグは、
東欧でナチスの
強制収容所の惨状を
眼にした後でも
次のように書いて
いるのだ。
「ドイツ人はユダヤ人
の扱い方で人間性を
汚したと主張する
私たちアメリカ人が、
日本人の扱い方で
同じようなことを
しでかしたのである。
「奴らは本当に獣以下だ。
どいつもこいつも皆殺し
にすべきだ」。
耳に胼胝ができるほど
南太平洋のアメリカ
軍将校から聞かされた
台詞だ!」(下)
リンドバーグの日記は、
太平洋地域担当の
従軍記者エドガー・L
・ジョーンズが
1946年に
「アトランティック
・マンスリー」誌に
書いた次の記事とも
一致するのだ
「私たちは捕虜を
容赦なく撃ち殺し、
病院を破壊し、
救命ボートを機銃掃射し、
敵の民間人を虐待、
殺害し、
傷ついた敵兵を殺し、
まだ息のある者を他の
死体とともに穴に
投げ入れ、
死体を煮て頭蓋骨を
とりわけ、それで
置き物を作るとか、
または他の骨で
ペーパーナイフを作る
とかしてきたのだ」
このような一面を
持つアメリカ軍が、
日本占領後、
なぜソ連のような
暴虐を行わなかったのか。
それには国民性もある
だろうが、特攻隊や玉砕
といった日本軍の
命を懸けた抵抗、
住民の大量自決、
それを目の当たりにして、
この国民に暴虐を
働いたら大変なことに
なると肌感覚で分かって
いたからであろう。
逆に言えば、満州に
侵入したソ連軍には
その体験がなかったのだ。
「特攻隊の賛美」
では「演出」という
言葉が頻出するのだ。
「銃後の東京では、新聞が、
「空の神の英雄たち」
の武勲を称賛しているのだ。
プロパガンダによれば、
彼らは敵の士気に甚大な
打撃を与えているとされる」
「映画館では、
ニュース映像が
1944年11月、
すなわち最初の
神風特攻から1か月後
にはすでに、
パイロットたちの出撃の
様子を映し出している。
そこでは綿密に
いくつかの演出が
なされている。」
「空に消えていく
飛行機の映像は、まるで
パイロットが
永遠へと旅立っていく
かのような演出である。
歴史家コンスタンス・
セレニとピエール=
フランソワ・スウィリ
によれば、
1944年11月から
1945年7月の間に公開
された時事映画24本の
うち、
10本が 神風特攻を
取り上げており、その
演出はほぼ同一である。
つまり、これは単なる
戦闘任務の記録では
なく、
スペクタクル、演劇的
な演出として構成
されているのである。」
「特攻は兵器であり、
全体主義社会において、
敗北の淵にある
日本が社会的統合を
保つための重要な駒
でもある。
こうしたイデオロギー
的利用、賛美、そして
純粋な戦争ロマンと
しての演出は、繰り返し
発信されねばならない。
日本は決して降伏しない、
そしていつか、すべての
国民が祖国のために
すべてを捧げる
「総力戦」
に立ち上がるその日が
来るのだと、国民全体に
理解させるためである。」
このようにして、
特攻隊に対する賛美は、
単なる「プロパガンダ」
「演出」
「イデオロギーの道具」
に過ぎないという
刷り込みが繰り返されて
いるのだ。
「沖縄―絶望的な抵抗」
では、戦闘の様子や
米軍の被害に一応は
触れながらも、
またもや特攻隊の
戦果を過小評価する
表現をちりばめ続けて
いるのだ。
「特別攻撃の継続」
では、一転して、
特攻隊の戦果を並べて
いるのだ。
「沖縄戦の間に、
900機の神風特攻機が
アメリカの防空に
よって撃墜された。
対空砲火はまさに火の
壁のごとき様相を呈して
いた。
それでも、アメリカ
艦艇5隻が沈没または
損傷し、そのうち4隻が
空母であった。
アメリカ兵の死者は
5千名、負傷者も5千名
に達し、
その多くが重度の
火傷を負っていた。
その心理的影響は
明らかに甚大であり、
アメリカはこのような
戦い方を理解できなかった。
そのため、アメリカの
報道機関は、通常とは
異なり、
一定期間この特攻の
事実を秘匿する措置を
取ったのである。」
ここでは、アメリカの
報道機関が、一定期間、
特攻の事実を秘匿する
措置を取った理由は、
被害の大きさを隠した
かったためではなく、
「その戦い方が理解
できなかった」からだ
との意味不明な解説に
なっているのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

