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書いとらんのじゃ

どうも村田です

日本を中心とした

地図に戻るのだ。

じっと見ると、いかに

太平洋が広いかに

気が付くと思うのだ

もちろんインド洋も

大西洋も大きいのだが、

日本中心の地図の場合、

大西洋は映ってないのだ

太平洋はあまりにも巨大で

規格を絶して大きいのだ

このことは今日の主人公の

日本列島にとって、何を

意味するか、我々の知って

いる歴史をひっくり返す

ような事実が明らかに

なるのだ

物語の途中で出てくる

大きなテーマなのだ

この太平洋の大きさは、

由来、日本人にとっては

もとより、この辺りに襲来

してきた西洋人にも、

あるいは多々の民族に

とってもいかにも侵しがたい、

また簡単に立ち寄ることの

できない、

侵入することの難しい広さ

なのだ

以来、たくさんの探検家が

ヨーロッパから次々と

世界一周紀行するのだ

近代の話をするときに

詳しく説明するが、どのように

ヨーロッパの人が入ってきたか

というと、簡単に言うと、

ヨーロッパのイギリスとか、

スペインから出発した探検隊は

皆アフリカの南側に入るのだ

18世紀以降の話だが、もちろん

アフリカを発見したのは

それよりも2、300年前の話

なのだ

18世紀になって、アフリカの

南端の喜望峰に行き、それから

ゆっくりと大西洋を渡る、

2通り道があり、喜望峰、

つまりアフリカの方へ向かわ

ないで、南アメリカ大陸の方へ

向かうわけなのだ

アフリカの方へ向かう道が

あるのだが

けれど、そういう道でアジアに、

インド洋に入ってくるのではない

ということを言っているのだ

一番最初は、南アメリカ大陸

の南端を回って、太平洋に

入ってくるのだ

そして太平洋の下の方、つまり

南の方をずっと渡ってきて、

その辺りにはまだ小さい島が

いくつかあるのだ

そして大体フィリピン、

あるいはもう少し、

モルッカ諸島まで入ってきて、

それで帰ってしまうのだ

後でこの話は重大になるが、

どうしても近寄ることが

できなかったのは北太平洋

の広さが理由なのだ

太平洋があまりにも広い

ために不可侵で、入ってくる

ことができなかったのだ

このことは日本列島の

運命に大きな意味を持つ

のだ

北東、つまり日本列島の

東側の海域に近寄ることが

できなかったということ

なのだ

後でまたその話は大きな

テーマになるのだが、面白い

からもう1つ書いておくと

18世紀、1700年代の初めごろ

西川如見という人がいて、

1720年に『日本水土考』という

本を書いているのだ

水土というのは環境研究

みたいなもので日本をめぐる

環境研究でも良いのだ

その中でこう言ってるのだ

「日本の東は」、東の海の

ことで

「日本の東は溟海、遠濶

を世界第一の廬にして」、

「溟海」というのは暗い

海のことなのだ

「地勢相絶す」、下は

断崖絶壁だと言っているのだ

「故に圖上には亜墨利加州を

以て、東に置くと言えども、

地系環って西方に接して、

その水土陰悪偏氣の國也」。

この環境は険悪で偏っていて、

非常に嫌な空気がみなぎって

いると言っているのだ

「地體渾円の理を案ずる時は」、

地球がぐるっと回っていて

丸であるということなのだ

渾円というのは、案ずる

というのはこういう字で

地球がぐるっと丸いものだ

という理屈を考えるならば、

「則ちまさに亜墨利加を以て、

西極に属すべし」。

西の端っこにあるはずで

あろうと言っているのだ

今の言葉にすると、

「太平洋は何かとにかく

恐ろしくて巨大で、その

向こうにあるアメリカの

ことはさっぱり分からない。

もうお手上げだ」

と、はなから降参している

話なのだ。

日本人にとって文明は、

歴史上常に西の方から

やってきたのだ

「ならば、分かりやすい

ではないか。西の方へ

どんどんどんどん進んで

いって、

わけの分からないアメリカ

のことは後回しにしよう。

地球が丸いのなら西へ

どんどん行けばいずれ

出会えるだろう。

ならばそれまでアメリカの

ことは考えないように

しておこう」と、

そう言っているように

読めるのだ

その実、そうなるのだ

世界地理知識において、

17世紀末から18世紀にかけて、

日本人もだんだん視野が

広くなってきて、

地球が円形であるという

ことが分かってきたのだ

その見識において、

当時一番知識の高い人は

新井白石だったのだ

しかし、その彼にしても

太平洋とその方面のことに

なるとお手上げで、

西川如見とさして違いは

なかったのだ

白石には『西洋紀聞』と

『采覧異言』という2つの

著書があるが

『西洋紀聞』の方は聞いた

ことがあるだろう。

西洋に、紀聞は記紀万葉の

「紀」に、新聞の「聞」で

『西洋紀聞』なのだ

『西洋紀聞』

これは世界史のことについて

書かれているものの中では

代表作なのだ

われわれがこの時代のことを

考えるには、西洋紀聞の方が

有名だが、

知られたのは明治になって

からで、江戸時代の18世紀に

地理の本として読まれたのは

『采覧異言』の方だが

しかし、アメリカに関しては

ほとんど書いてないのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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