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記録の引用じゃ

どうも村田です

人類史上に残る

戦争犯罪であり、

大虐殺

これについて、

ケスレー氏は一切、

評価を語らないのだ。

「特攻隊員の装備」

では次のように言って

いるのだ。

「軍のプロパガンダは、

メディアを通じて次の

ような信念を広めていた。

すなわち、アメリカ軍

が勝利した場合には、

集団レイプや

その他の残虐行為を

ためらうことなく行うで

あろうというものである。

その結果、国民の多く

が敵は野獣のような

行動を取るであろうと

信じ込むに至る。」

敗戦したらとんでも

ないことになると

いうのは

「プロパガンダ」

「妄想」

だったというのだ。

米軍の無差別爆撃を

体験すれば、上陸

されたら

何をされるか

分からないと想像

するのは当たり前で

特にアメリカの

ルーズベルト大統領は、

1943年1月26日、

カサブランカ会談

終了時の記者会見に

おいて、

対枢軸国方針として

「無条件降伏」

を打ち出し、

同年11月27日の

カイロ宣言において、

日本に

「無条件降伏」

を要求したのだ。

したがって、

昭和18年1月以降、

日本は、

そのまま敗戦すれば

何をされても文句が

言えない状況に

おかれてしまった

わけなのだ。

ドイツを例に挙げて

見るとドイツが劣勢に

転じてからの

ロシアの報復は

すさまじいもので

「ソ連兵の強姦を

受けたドイツ女性は

少なくとも二百万人に

上るとみられている」

と安村廉(きよし)

拓殖大学教授は指摘

しているのだ。

当時のドイツの人口は

約6000万人だから、

これはすさまじい数字

なのだ。

岩間陽子氏の

『ドイツ再軍備』

(中央公論社、

1993年、平成5年)

の序章第一節

「ロシア人がやって来た」

では、ドイツ女性が

陵辱されて行く記録が、

これでもかというほど

載せられているのだ。

たとえば、

「私たち女は、昼も夜も

犯されつづけましたが、

そのやり方と言ったら!

―二月八日から九日に

かけての最初の夜だけで、

私は十二人の大男に

犯されつづけ、

もう首を吊ってしまい

たかったのですが、

一晩中ロシア人が

家を出たり入ったり

していたので、それ

さえできませんでした」

ソ連ではなく、アメリカ

だったら大丈夫だったの

だろうか。

たしかに、アメリカに

よる日本占領は、ソ連

によるドイツ占領の

ように残虐非道な

ものではなかったのだ。

そのため、いまの

私たちには、

「このまま負けたら

何をされるか分からない」

と考えて親兄弟を守る

ために特攻隊に志願

した若者達や、

「占領軍に凌辱される

くらいなら、死んだ

ほうがましだ」

と考えて集団自決した

人々の気持ちが分から

なくなっているのだ。

それでは、アメリカ軍は、

戦場でどんな振る舞いを

していたのか。

大西洋横断単独無着陸

飛行を成功させた

チャールズ・A・

リンドバーグが、

1949年(昭和十九年)

当時の南太平洋の様子を

記した日記

『リンドバーグ

第二次大戦日記(上・下)』

から引用してみるのだ。

「わが軍の将兵は日本軍

の捕虜や投降者を射殺

することしか念頭にない。

日本人を動物以下に取り扱い、

それらの行為が大目に

見られているのである。

われわれは文明のために

戦っているのだと主張

されている。ところが、

太平洋における戦争を

この眼で見れば見るほど、

われわれには

文明人を主張せねば

ならぬ理由がいよいよ

無くなるように思う」

(下)

「オーストラリア軍の

連中はもっとひどい。

日本軍の捕虜を

輸送機で南の方に送らねば

ならなくなったときの話を

覚えてるかね?

あるパイロットなど、

僕にこう言ったものだ、

捕虜を機上から山中に

突き落とし、

ジャップは途中で

ハラキリをやっちまった

と報告しただけさ」

(下)

「日本軍の野戦病院を

占領したときの話を

知ってるかね。

わが軍が通り抜けたとき、

生存者は一人も残さな

かったそうだ」(下)

「海兵隊は日本軍の投降

をめったに受け入れ

なかったそうである。

激戦であった。わが方も

将兵の損害が甚大であった。

敵を悉く殺し、

捕虜にはしないという

のが一般的な空気だった。

捕虜をとったとしても、

一列に並べ、英語を

話せる者はいないかと

質問する。

英語を話せる者は尋問

を受けるために連行され、

あとの連中は

『一人も捕虜に

されなかった』という」

(下)

リンドバーグは、東欧で

ナチスの強制収容所の

惨状を眼にした後でも

次のように書いている

のだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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