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言っとったんじゃ

どうも村田です

本当にスタートは非常に

楽しくできたのだ。

これがミシマンスキーで、

ヤマンスキーの彼が副官

なのだが、2人で

当時 APCという装甲輸送車が

滝ヶ原自衛隊に入ったばかり

だったのだが、その新車を

使って訓練をする

ということで楯の会の学生の

班長クラスがある所で待ち伏せ

しているわけなのだ。

そこへミシマンスキーと

ヤマンスキーを乗せた装甲車が

通過していくわけだが、

その時に倒木を道路の真ん前に

バーンと引きずり出すのだ。

そうすると装甲車はそこで

止まってしまうので、学生たちは

一気に装甲車に乗り上がって引き

ずり出そうとするわけなのだ。

そして、学生たちが何と

三島由紀夫大先生を引きずり出して、

そうしたら装甲車の上で手を上げて

「わが輩はロシアの将校

ミシマンスキーである」

と言ったので、もう学生たちも

腰を抜かすぐらいにワーッと

笑ったのだ。

まさか先生がそこまで演出して

くるとは思っていないし、なおかつ、

せっかくだからお化粧をさせた

のだが、そこまで演出してきた

ということで、ものすごく驚いた

わけなのだ。

それで実は、楯の会の第2班長で

本多清という人がいるのだが、

三島由紀夫の事件が起きて

50年目に、たまたま彼と奇跡的に

再会することになったのだ。

その彼が書いた本があって、

『三島由紀夫「最後の 1400 日」』

という本で毎日ワンズから出て

いるのだが、その中に彼はこの

シーンを書いているのだが、

そうしたら今私が説明したのと

ぴったりなのだ。

すべて寸分の狂いもなく、

そうシナリオが書いてあったので

驚いたのだ。

これが拉致訓練の三島先生の

シナリオに基づいて私が作った

制服と言いますか、

ちょうど私も20~21歳ぐらいだが、

こんなにニコニコした写真は世の中

には存在しないのだ。

これを見たら、みんなにニコッ

となってしまうのだ。

今度は、パルチザン訓練で

パルチザンというのは、ゲリラと

いうかそういう訓練で、

予定していたのだがやはり雪に

なってしまって、学生が目的地に

なかなか着かないで

「1時間ほど遅れる」

と連絡が入ったのだ。

先生は、彼らのパルチザン訓練の

見学に出掛けたわけだが、30センチ

ぐらい降ったのだが、その新雪を

踏んで丘まで上がったのだ

しかし、ここで1時間待つのは

大変だから、私はもう最初から

「そうだろう」と思って暖を取る

ためのまきを準備していたのだ。

これは山内信雄助教教官だが、彼と

私で土のうに2つのまきを入れて

現地に行って火を付けて暖を取って

もらっているということなのだ。

だから、あの三島先生は私には

言わなかったけれども

「あの男は何も言わずとも俺の心を

知っている」なんて、もしかしたら

ひそかに思っていたかもしれません。

私も中隊長の時に、ある連隊長に

言われたのだ。

「おまえは評価200点だ」

と言われて、現役中は

「それはどういう意味ですか?」

とは言えないから、転属する日に

「連隊長教えてくださいよ。私を

『200 点』と言って、よその中隊長は

『100 点だ』『120 点だ』と言って

いるけどどういう意味ですか?」

と言ったのだ。

そうしたら、何と答えたと思うか?

「おまえはな、俺が匂わしただけ

でもちゃんとできているだろう?

匂わさなくても雰囲気でおまえは

すべて準備できているだろう。

そういう男を『200 点』と言うのだ」

と言われて、「ええーっ」と思ったのだ。

だから後で

「そういう評価もあるのだったら、

もしかしたら三島先生も私には

言わなかったけれども陰ながら

そういうお考えをお持ちになって

いたのかな」と思ったのだ。

こちらにおられるのは、当時イギリスの

『ロンドン・タイムズ』の記者であった

ヘンリー・ストークスという人で、

息子さんがハリー杉山という有名な

タレントさんなのだが、そのお父さん

で、ハリー杉山さんの自慢というのも、

要するにこれから出てくる私が撮った

写真が自慢なのだ

「私の父親は、三島由紀夫先生と

非常に懇意に付き合ってもらって

いたというその証拠写真だ」

と言って、私が撮った写真をテレビ

なんかでも紹介してお見せになって

いるのだ。

それで私は聞いたのだ。

「明日、外人さんが来るから。

こういう人だ」と言うので、

「先生、私は英語全然しゃべれない

のですけど」と言ったら、

「心配ない」と言うのだ。

それで、何で彼なのかという話をしたら、

「普通の記者さんを呼ぶと報道が偏向

されてしまう。彼はそのままズバリを

表現して世に出してくれるので非常に

安心だ。だから彼を呼んだ。

自分が一番信頼するジャーナリストである」

ということを先生は言っていたのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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