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作れないんじゃ

どうも村田です

草莽崛起

(そうもうくっき)

は知っての通り、

多分ご存知だと思うが、

長州藩の騎兵隊なのだ

あの騎兵隊には農民が

いたわけなのだ。

そして士農工商の

農工商も入っていた

のだ。

そこに武士もいたのだ。

つまり寄せ集めなのだ。

寄せ集めた兵隊なんて

ことが、何とこの国の

中で初めて出てくるのだ。

これが草莽崛起

(そうもうくっき)

の概念なのだ。

草莽崛起

(そうもうくっき)

の概念にある種の理屈

を与えたのが吉田松陰

だったのだ。

そのことによって

一気に尊王敬幕から

尊王倒幕へと行くのだ。

つまり、天皇を中心と

して幕藩体制を変えて

いくという革命的な話

になってくるのだ。

それで重要なのは、

だからこそなのだが、

そこで水戸学が

言っていた

天皇による祭祀、

つまり祭政一致の理念、

天皇を一種の神として

祭る

国家神道の流れと

尊王討幕が一致して

くるわけなのだ。

もう藩主もいらない、

幕府もいらない、

一気に天皇とつながり、

それは非常に宗教的な

形でのつながりがある

という形で凝集性を

高めるのだ。

その凝集性の中で

あの幕藩体制を変える

明治維新が成り立った

ということなのだ。

つまり、非常に宗教的な

ムーブメントなのだ。

ここが決定的に重要な

ポイントになるのだ。

ただし、ここからが

問題なのだ。

確かに維新をやるのは

それで良かったのかも

しれないのだ。

宗教性の力がそこで

最も発揮されるから

なのだ。

だけれど、分かると

思うのだが、いざ

革命をした時に、

日常に返るではないか。

日常に返った時には

むしろその爆発的な破壊、

あるいは爆発的な革命の

情熱はいらないのだ。

あるいはもっと言うと、

爆発的な情熱を持って

しまうとまずくない

だろうか。

明治を作って、

明治政府を作っておいて、

いまだに宗教的に

「俺たちはこうだから

明治時代を倒すんだ」

と言うと、

いつまで経ってもこの

革命は終わらないでは

ないか。

だから、そこが問題に

なってくるわけなのだ。

つまり、天皇教という

のは一瞬ものすごく

宗教的な意味を持つの

だけれど、

その後に世俗化される

のだ。

つまり、われわれの

宗教心が抑圧されるのだ。

この問題が明治から

出てくると考えた方が

いいと思うのだ。

さて、だとすれば

重要なポイントが

2つあり

1つはもちろん

大日本帝国憲法、

もう1つは教育勅語

なのだ。

少しこの経緯をさっと

簡単に見ておくと

教育勅語が昭和において

非常に問題になり

これは有名な話だが、

大日本帝国憲法は

プロイセンの

公法学者

ルドルフ・フォン・

グナイストという

有名な人なのだが、

この人が伊藤博文に、

国家宗教の必要性を

説いたのだ。

つまりどういうことか

というと、中央集権

国家をやる時には

必ず中心がいるので、

その中心的な宗教が

いるだろうというふうに

アドバイスを受けるわけ

なのだ。

アドバイスを受けた

伊藤博文は「確かに」

と思って、1回

立ち止まるのだ。

立ち止まったうえで、

ではわれわれの中心は

何かと考えるのだ。

その時に、仏教かな

と思うのだけれど、

「いや、仏教も

葬式仏教だしな」

と、

江戸期は完全に

そうなっている

わけなのだ。

「では儒教かな」

と思うのだけれど、

「しかし儒教だけで

天皇を神と言うわけ

にはいかないだろう。

そして神道は体系が

ないしな」

と考えるのだ。

考えてすべてを精査

したうえで、こう

言うのだ。

「我国にあつて基軸と

すべきは独り皇室

あるのみ」

というふうに

伊藤博文が決定

するのだ。

あるいは決断

するのだ。

多分皇室という

内容はないのかも

しれないけれど、

そのある種の

カリスマ性、

そこに寄って

いかないと

私たちの中心が

作れないと思うのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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