どうも村田です

中央集権化と
いうことは不可避
だった場合、
各地方の宗教性は
破壊せざるを得な
かったと、つまり、
地域の伝統をある程度
抜け出して中央集権し、
かつ中央における
信仰心を問わざるを
得なかったということ
なのだ。
その時に注目するのは、
伝統的に中央集権の
ことを考え続けてきた
一派がいたわけなのだ。
これが水戸学なのだ。
水戸学自体がはっきり
言って水戸学は本当に
面白い学問なのだ。
これはご存知の方も
いらっしゃるかもしれ
ないが、
水戸学はもっと言うと
水戸藩でできたわけ
なのだ。
水戸藩は親藩で
親藩なのだけれど石数が
非常に少なくて、
水戸は茨城の辺りで
あの辺りは農業的に
厳しいのだ。
つまり貧しいのだ。
そして貧しいと同時に
親藩なのにもかかわらず、
そこから将軍が出にくい
という位置付けなのだ。
そうするとどうなるか
というと、
「何で俺たちはこんなに
冷遇されているんだ」
という感覚になるらしい
のだ。
しかも、なぜ江戸があって、
江戸の北の方に水戸、
つまり茨城の方だが、
そこに親藩的なものを
置いたのかというと、
北が怖かったという話が
あるのだ。
つまり関ヶ原を取って、
江戸は一応幕藩体制で
幕府そこに定めたのだ
けれども、
北にもっと敵がいたと、
例えば伊達政宗などが
そうなのだ。
その、いざという時に
「おまえらは北の抵抗勢力
に対して戦うために置いて
あるんだからな」
という話なのだ。
そうすると、
「俺たちは幕府を守る
ためにどうしたって
犠牲になるんだ」
という自覚がどうも
水戸藩の中で育つらしい
のだ。
しかし、
「何で紀伊、和歌山の方は
温暖であんなに遠いのに、
そこからは将軍が取られるし、
紀伊は優遇されていて
俺たちは何で死ねって
言われてるんだ」という、
そういう不公平感というか、
疑心暗鬼が出てきたのだ。
その疑心暗鬼の中で、
何のためだったら死ねるのか、
みたいな話を
水戸藩の中でずっと考えた
という話なのだ。
その時に彼らは考えたのだ。
「幕府のために死ぬ。
もちろんそれはそうだ。
でも幕府のためだけに
死んだとしたら、
私たちはやっていけない。
なぜかというと、幕府は
もちろん利害得失で
動いていくので、
将軍が変わっていく。
その都度、その人たちに
対して忠誠心を果たして
私たちは払うことが
できるだろうか」
と彼らは考えるのだ。
その時にこう考え
「もっと大きな大義の
ために死にたい。
そうじゃなかったら、
自分の死を納得する
ことはできない」と。
その時に彼らは
幕府のために仕えると
同時に、
大義名分論というのが
水戸学であるのだが、
その大義名分はもちろん、
その向こうにいる
天皇なのだ。
天皇のために死ぬ
というその思想を、
水戸藩は幕藩体制の
中で作り上げるのだ。
だから明治維新の時に
最初に彼らが思想的
中心になるのだ。
つまり中央集権の思想を
そもそも作り上げていた
一派なのだ。
だから面白いのだ。
その後に国学と書いたが、
国学の最初の一歩は誰が
作ったかというと、契沖
なのだ。
契沖が例えば
『万葉集』を研究して、
万葉仮名みたいなものも
全部作っていくのだ。
では彼の、契沖の食いぶち、
つまりお金を出していた
藩はどこかというと、
水戸なのだ。
つまり、ここで国学と
水戸藩が合体するのだ。
もちろんそして水戸学は
幕藩体制の中の1つの
一派だから、水戸学は儒学
なのだ。
儒学をやりながら、
儒学を日本という国に
おいて思考するという、
そういう特異な思考を
彼らは作り出すわけ
なのだ。
そこで藤田幽谷、
藤田東湖は親子で
それから有名なのは、
会沢正志斎なのだ。
こういう人間が幕末に
出てきて、彼らが何を
言ったかというと、
「幕府は天皇のために、
そして天皇は日本」
なのだが、
その日本の代名詞が
万世一系なのだ。
万世一系という言葉を
彼らは初めて口に
したのだ。
そして万世一系の
天皇を頂く王朝交代の
ない日本というものを
発見するのだ。
これが彼らにとっては
決定的だったのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

