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破壊したんじゃ

どうも村田です

農業を通じた

国のあり方を深く

追求しているのだ。

これは

「農本主義」

と呼ばれるのだ。

橘氏は、この講演や

著書のなかで、

古代からの

長期的視点による

世界史的な説明を

おこなっているのだ。

彼は大正・昭和を通じて

「農業とは人類に

とって何であるか」

を考え続け、

その蓄積を詩的な

文章で表現しているのだ。

近代史の一般的理解では、

長く農業中心の時代が続き、

産業革命を経て

近代産業文明が発展した

とされるが、橘は

その理解をもちつつも、

さらに古代から都市と

農村の対立が一貫して

存在してきたと捉えるのだ。

古代ローマや古代ギリシャ、

中国史においても同様の

構図が見られると指摘して

いるのだ。

人間はまず農業を営み

定住し、富を蓄積して

自給自足の文明を築く。

その過程で水利管理や

灌漑などの必要から

権力が生まれ、

権力者は農民から

税を徴収するのだ。

この税や物資の流通、

さらに農業では生産

できない品の製造が発展し、

やがて都市文明が

形成されるのだ。

都市文明は農業地帯から

食料を供給され、物々交換

に代わり貨幣が流通する

ことで成立するのだ。

都市は富を拡大する

ために他都市との交易を

おこない、

やがて農村や農民を

収奪して繁栄するのだ。

しかし、その繁栄は内部の

腐敗や他都市との戦争に

より崩壊するのだ。

このように、農村から

第一次産業の産物を

搾取して都市が栄え、

驕り高ぶっては滅びる

という循環が古代から

繰り返されてきたのだ。

橘氏の歴史観では、

世界史は都市文明と

農村文明の対立として

捉えられるのだ。

農村は家族的共同体

によるネットワークを

形成し、

物々交換で自給的に

生活していたが、

都市文明がその富を

収奪していったのだ。

農業定住で土を耕す者と、

労働せず富を得る者の

対立こそ、文明史の本質

であるとするのだ。

例えば、平家は、

日宋貿易による商業で

富と権力を築いた

都市的勢力であったのだ。

その一方で、坂東武者

(関東の武者)は、

農地を経営し、

農業をおこないながら

武芸を鍛える半農半武の

存在であったのだ。

結局のところ源平合戦

では、多くの坂東武者が

源氏に味方し、

平家を滅亡に追い込む

ことになり、鎌倉幕府が

開かれたのだ。

引用

ギリシア然り、ローマ然り、

しこうして大英帝国の

現状は何を我々に物語って

おるのでしょうか。

その反面、4億万農民

大衆のシナ、ガンディー

の3億万インド農民大衆、

これらは目下最も

哀れむべき状態に投ぜ

られておりますが、

しかし決してギリシア、

ローマの後を追うもの

ではございません。

「( 日本を救う農本主義

「- 日本愛国革新本義」

「永遠なる義公」』

「第2篇第3章タチバナ

主義的説明」より抜粋)

このように、古代ギリシャ

やローマの都市文明で

あっても、最終的には

滅亡したのであるのだ。

歴史は繰り返され、

産業革命以後、その

傾向は極端化したのだ。

確かに、今回のテーマ本

では中国やインドに

ついても触れているのだ。

現在も中国やインドでは

農民が都市へ流出している

のだ。

橘氏のこの講演では

イギリスがどうやって

繁栄しているのか

ということが問題として

取り上げられているのだ。

とくにインドはイギリス

の植民地であり、

大英帝国の繁栄は

意図的な農業破壊の

上に成り立っていたのだ。

イギリスは農地を

囲い込み農民を追い出し、

都市で低賃金の工業

労働者に転化させたのだ。

その結果、国内の穀物生産

は衰退し、食糧は

アイルランドやインド

をはじめとする植民地から

調達する体制となったのだ。

イギリスは産業資本主義

によって富を築くと、

近隣の農業大国フランス

などから農産物を購入した

のだ。

植民地からの収奪や

近隣国からの輸入に依存し、

自国農業を徹底的に

破壊して第二次・第三次

産業を富ませ、農業を

外部化したのだ。

穀物が不足すれば

輸入すればよいという

発想であったのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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