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危惧しとんじゃ

どうも村田です

日本人の精神、魂

というものを海外にも

植え付けていかなくては

いけないのだ

満州の問題に触れてるが、

「ひるがえって満州の問題、

国際連盟の問題でありますが、

前途なお幾多の困難が

ありましょう。

しかし、日本国民の魂さえ

しっかりしておるならば、

少しも恐れることはない。

満州問題の起こったために

眠っていた日本精神が

よみがえった。

われわれはこの

よみがえった精神を

どこまでも保たなければ

ならぬ。

一体今日まで残念なことは

世界にまだアジアというもの

をほんとうに認めておらない。

いわんやアジアの一角に

あるわが日本帝国を本当に

認めておらないのであります。

アジアはこれだけ多くの人と

これだけ多くの領土を持って

おるにもかかわらず、

アジアは蒙昧なり、多少は

進歩をしていても半開民族の

より集まりぐらいにしか

考えておらない。

実に今日(こんにち)は

世界に対してアジアの精神、

日本の文化、日本の道徳を

知らしむる絶好の機会で

あります。

欧米人に対して、アジア全体

を背負って立つ、われわれ

日本国民の気迫と信念を

知らしむべき時であります。

これが満州問題に対する

第一の魂であります」。

こう言っているのだ

要するに彼は第一次大戦を

見てきたこともあって、

ヨーロッパ、アメリカも

含めて欧米に対する大変強い

危機感というものを持って

いるのだ

危機感というか、危険意識、

危機意識を持っているのだ。

アジアはこの時日本とタイ

だけが独立国で、あとは

ほとんど植民地なのだ

満州は新しく日本が

つくろうとしたわけだが、

日本人のそういう精神

というものをアジアに

持っていかないと、

このままいつまでも

ヨーロッパのやりたい放題

のままにされてしまうのだ

「アジアはこれだけ多くの

人間がいるにもかかわらず、

アジアはアジアとして

欧米に対峙できていない

ではないか」

という一種のアジア主義的

な考え方があって、これは

のちの大東亜戦争の植民地に

された国々を解放するという

理念の1つにも結びついて

いくということが言えると

思うのだ

さらには、

「にもかかわらず、

日本製品は非常に世界的に

評判が悪い。日本精神と

いうものを製品にも入れて

いかないと、

日本製品は世界の中で

信用を得られないぞ」

というようなことも

言っているのだ

第6は、面白いことに、

マルクス主義に対する

批判がここに書いてあるのだ

「わが国民がすべからく

たくさん働いて適当量の

生産をなして、

適当に得たる収益をもって

1杯の晩酌に1日の労を

いやし、家内平和裏に

若干の貯蓄をなし、

あり余りし金は社会的事業

国家的事業にどんどん寄付する。

実に痛快ではないか。

真に人生の快楽はここにある。

国民ことごとく、こういう

心がけでいれば失業者も出ず、

不平者も出ず、

どこにマルクス主義の進入

する余地があろうか」

と言っているのだが、

現代的にはなかなか理解

しにくいかもしれない。

日本というのは天皇を

中心とした1つの家族

のような世界である

というふうに彼は思って

いるから、そういう中で

自分たちが働いて、

そしてお金を得て、

食事をして、1杯飲んで、

余ったお金については

国家に寄付して、

その寄付でもって日本中が

回っていけば、失業者も出ない

大体マルクス主義という

ようなものが入ってくる

余地はないだろう

という言い方をしているのだ

大変面白い言い方で、

ある意味でいうと、

マルクス主義の原点と

いうのは、生産性の所有が

どこにあるかというところ

にあるのだが、

そういうことではなく、

「1人1人が満足いく社会、

家族的に満足する社会が

あれば、そういう不平者は

出ないだろう。

不平者がいるから

マルクス主義のようなもの、

共産主義のようなものが

出てくるんだ」

というふうな見方に立って

いるのだということが

これで分かると思うのだ

マルクス主義に対する

批判が出てくるのはここ

なのだが、彼は基本的に

ソ連がいろいろやってきた

ことについてはそんなに

批判的ではないのだ

彼がロシア通だということ

もあるかもしれないけれど、

「しかし、それは彼らの

中においてはマルクス

主義的な、

あるいは共産主義的な

やり方がある意味いい

のかもしれない。

しかし、日本はとても

そうではないんだぞ」

ということを、あえて

そこではっきり言っている

部分があるとは思うのだ

このマルクスの批判も

そうだが、その前の段階の、

アジアがヨーロッパに

非常にやられてきた歴史も

そうだが、

この話は明治以降の屈辱

についても触れられて

いるのだ

例えば

「顧みれば、わが国の

外交史は屈辱的外交の

縮図である。

明治維新前後の外国条約は

先方の言いなり次第、

ご無理ごもっとも、

日清戦争前後の三国干渉も

同様、

『おっしゃることは

間違っておりますが、

お受けいたします』

というありさま。

支那からは条約を蹂躙され

放題、軍縮は5・5・3。

これではたまったものではない。

要するに何だかんだ言って

きても日本は外交的に欧米の

言いなりではないか。

シナからもバカにされている

ではないか。

一体何のための国際連盟だ」

というようなことまでは

今言っているのだ

そういう意味ではマルクス

主義への批判と同時に、

欧米の批判で、それに対する

日本の外交のだらしなさ

ということについても

強く危惧しているところで

あるのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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