どうも村田です

「手柄や褒美を
もっと下さい」
尊氏がこんな調子
では、当然周りの
部下たちも
同じように
「俺にもくれ」
みたいな感じに
なるのだ。
そうなれば争いは
絶えないだろうと。
つまりイングランド
の政治哲学者である
トマス・ホッブズが
指摘するところの
「自然状態
(万人の万人に対する
闘争)」
となってしまうため、
内乱がずっと続いて
しまうわけなのだ。
山本七平氏の評価は
当たっているような
気がするのだ。
実際に室町時代は
戦乱が続いて
めちゃくちゃなのだ
(確かに平和な時代も
あったが)。
応仁の乱から
戦国時代に突入する
のだ。
北畠親房は、
後醍醐天皇をあまり
好きではなかった
可能性があるのだ。
ただし『神皇正統記』
の中では
「立派な天皇だ」
と書いているのだ。
後醍醐天皇が
亡くなったときに、
「私(=親房)は
すでに老人で悲しい」
ということで筆を
置いてしまうのだが、
「後醍醐天皇こそが
正統(しょうとう)
であり、
息子の後村上天皇も
また正しい皇統を
継いでおられるのだから、
後村上天皇のもとで
日本が再び繁栄して
くれることを願います」
というふうにいって
いるのだ。
『神皇正統記』
の特徴として
「代数」と「世数」
という考え方があり
もう一つは、
「神の国」
という言葉(概念)
なのだ。
これはよく誤解
されていて、日本
だけが特別な国で
あるかのように
捉えられてしまって
いるのだ。
しかし本当の意味は、
日本が天照大神から
続く大きな皇統の
流れを持っている
ということで、
しょっちゅう王朝が
交代する中国の
ような国とは違う
のだということなのだ。
ここで今谷明氏の
現代語訳をご紹介する
のだ。
「ただわが国だけは
天地開闢
(てんちかいびゃく)
以来、
今の世に至るまで、
天照大神の神意を
お受けした皇位の継承
は正しく行われている。
たまたま傍流に皇位が
伝えられることが
あっても、
また正統に戻る道が
あって、皇位は継承
されてきている。
これはすべて神明の
御誓い、天照大神の
まさに天壌無窮
(てんじょうむきゅう)
の神勅(しんちょく)
が常に生きてきたから
であり、他国と異なる
いわれである」
戦乱があったり、
皇統の危機があったり
するのだけれど、
常にあるべき正統
(しょうとう) に
戻っていくという
意味で
天照大神の御神意が
作用しているのだ。
それからもう一つは、
天皇の徳で
天皇=神様ではない。
良い天皇もいれば、
悪い天皇だっている
ということなのだ。
そこが
『神皇正統記』
の重要な肝だと
思うのだ。
「仏教に限らず儒教・
道教をはじめさまざま
な道、
卑しい芸まで興し用いる
ところこそ聖代である」
「自分が食べる
ばかりでなく、他人にも
与えて飢えることの
ないようにする」
「女は糸を紡ぐことを
仕事として、自分が
着るばかりではなく、
他人にも暖かにする。
卑しいことのようにも
思われるが、
これが人倫の根本
なのである。天の時に
従い、地の利に依った
営みなのである」
日常生活の中で徳行を
積む、つまり善い行い
をすることが大事だと
昔の人たちはいっている
のだ。
人民だけではなく
君主もまたそうなのだ。
人民もそうだし、
臣下もそうだし、
ましてや上に立つ
天皇や君主も徳を
持たなければいけない
という一つの徹底した
考え方に貫かれて
いるのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

