どうも村田です

2世紀の日本海側
にはそういう町
みたいな、
人の出入りが非常に
激しい、そういう村、
町が存在したことが
分かるのだ。
非常に不思議な結果
なのだ。
どうも私たちが考えて
いた以上に進んでいた
ことが分かるのだ。
核ゲノムの結果は、
今度は逆に渡来系は
1例だけで、あとは
縄文系なのだ。
ミトコンドリアDNAと
違う結果が出ていたりとか、
いろいろ不思議なことも
あるのだが、
いずれにしても現代
日本人に見られるDNAの
バリエーションが
1,800年前にすでに完成
しているのが分かるのだ。
今から1800年前には、
現代日本人のDNAバランス
というか、
DNAのバリエーションが
出来上がっていたという
ことなのだ。
これもびっくりなのだ。
佐賀県の唐津市で見つかった
支石墓という朝鮮半島系の
お墓から出てきた
おばあちゃんの人骨なのだが、
これは渡来人が入っている
だろうと思ったのだが、
DNA分析の結果も、骨の解析
の結果も100%縄文女性だった
のだ。
貝輪も縄文系の貝輪だし、
抜歯も縄文系の抜歯なのだ。
だから、当時朝鮮半島では
やっていたお墓になぜか
入っているということなのだ。
DNA分析は縄文系の人だった
ということなのだ。
佐世保市にある下本山洞窟
遺跡という所の石棺墓、
石のひつぎから見つかった
男女の骨なのだが、
この人はDNA分析の結果、
渡来系と縄文系が混血した
混合弥生人であることが
分かったのだ。
この人は弥生後期、紀元前後
の人たちの人たちなので、
そのころになると
佐世保の方でも渡来系の血と
縄文系の血が混血していた
ということが分かっている
のだ。
おそらく九州北部の唐津
から福岡にかけての地域に
最初渡来人が入ってきた
のだ。
水田稲作が広がると同時に、
どんどん周辺に広がって
いって、
弥生時代が始まって1,000年
ぐらい経つと、佐世保の辺り
までそういう渡来系の人も
移動していった可能性がある
ということなのだ
混血していたということが
DNA分析の結果明らかなのだ。
それから、熊本県の
宇土半島の付け根のところ
にある宇城市という大坪貝塚
で見つかった骨なのだが、
これは縄文中期の貝塚に、
弥生人がお墓を作っている
のだ。
だから、非常に骨の残りが
良かったのだが、時期は
紀元後3世紀なのだ。
古墳時代が近いころなのだが、
この貝塚で見つかった2号人骨
が非常に残りがよくて、
男性なのだが、紀元後3世紀の
人であるということなのだ。
これより、この3体のDNA分析
をやったのだが、分析の結果、
そのうち、2体が同じお母さん
から生まれた兄弟であることが
分かったのだ。
これもDNA分析、核ゲノムを
やったから分かったのだ。
渡来人、渡来系弥生人の血は
入っているのだけれど、
九州北部に比べるとすごく
少ないのだ。
だから宇土半島の辺りまで
行くと、縄文由来の地の方が
まだ濃い混血した人たちが
3世紀、古墳時代が始まる
頃は多かったということが
分かった事例なのだ。
これは弥生時代の今まで
核ゲノム分析を行った人の
縄文度を表したものなのだ
ブルーが縄文度で
全身ブルーの人は100%
縄文系の人なのだ。
それに対してオレンジが
渡来系の人なので、大体
頭より上が青い人が
渡来系弥生人なのだ。
これを見ると、腰の辺りから
上が青い人は混合弥生人、
大体1対1ぐらいの割合なのだ。
こういう縄文度を異にする
人たちというのが弥生時代
には見られるということが
分かる例なのだ。
現代日本人は大体10%から
20%、縄文ということに
なるのだ。
沖縄の人は30%が縄文度で、
アイヌの人は70%が縄文系
なので、
膝より上が全部縄文系と
いうことになるわけなのだ。
実は100%青い人は6世紀
まで見つかっているのだ。
つまり古墳時代の中期で
古墳時代の中期、和歌山の
かなり南の方には
まだ100%縄文の人がいる
ということなのだ。
中世鎌倉のDNA分析の結果、
100%縄文の人は見つかって
いないのだ。
だから、100%の縄文度
という人は中世にはいない。
もちろん現在もいないのだ。
いつごろ100%の縄文度の
人がいなくなったか
というのはまだ明らかでは
ない、
少なくとも6世紀までは
いらっしゃるということに
なるのだ。
これは核ゲノム分析の話で
だから、ミトコンドリアDNA
が
N7aとかN9bといった縄文人に
非常に特徴的な人は現代も
いるのだ。
現代もいるわけで
それはDNA分析したら
分かるのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

