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そうなっとんじゃ

どうも村田です

政治的に言葉遣いが

非常に制限されて

きているのだ

いろんな宗教の人が

いるから、お店の

ディスプレイのところに、

昔はメリークリスマスと

書いてあったりしたが、

メリークリスマスもいけない

メリークリスマスも

言っちゃいけないのだ

そのような、実際上、

信教の自由を制限する

ようなことがあるのだ

日本でも、目の不自由な

お方とか、そういうのは

放送用語としてソフトに

言うのはいいと思うが

ならば、ちょっと太った

人間は何だ、体重の不自由な

お方かよということなのだ

デブというのもこれは

けしからんと

太ってる人を蔑む言葉だと、

差別用語だと、デブも

言っちゃいけないとか、

太ってるという言葉もいけない

とか、そういうことになって

いくんじゃないだろうか

だから、実際

ポリティカルコレクトネス

というのは、言葉遣いを

強制するといいながら、

思考自体を強制してるのだ

思想自体を、考えること自体を

強制して洗脳してくる、そういう

恐ろしいことに今、アメリカは

なってきているのだ

このニュースピークという

こともばかにできないのだ

これはフィクション上の話と

思えないのだ

日本語でも、言葉狩りという

ことで進んでいるのだ

ただ面白いのは、この付録に、

ニュースピークの諸原理と

書いてある、結構長い文章が

あるのだ

文庫本で18ページあるのだ

で、これは当然原文では、

普通の英語で書かれている

わけなのだ

だったらニュースピークは

どうなったのかということ

なのだ

原文を読むと、

ニュースピークはオセアニア

の公用言語であった、wasと

書いてあるのだ過去形なのだ

そして、元来イングソック、

つまりイギリス社会主義、

イギリスソーシャリズムの

構図で

イデオロギー上の要請に

こたえるために考案された

ものであったのだ

翻訳が、ニュースピークは

オセアニアの公用語であり、

考案されたものであったと、

少し意味が通じにくいのだが、

ニュースピークはオセアニア

の公用語であったということ

なのだ

あったというのは過去形

なのだ。ということは、

ニュースピークの時代が

終わって、

ニュースピークの時代の

あとに、『1984年』の

ビッグ・ブラザー社会の

あとに、その社会が崩れて、

そのあとの世代の人が

書いてる文章というふうに

読めるのだ

この時代の人が書いた文章

ではなくて『1984年』の社会は

完璧な全体主義左翼統制社会

であったのだが、

それが何らかの意味で崩れた

ということをこの付録は

示唆してるわけで、

非常に大事な、面白い

かたちのオチといえるのだ

で、非常に面白いと思ったのだが、

ここに、英語の本でもちゃんと

付録、

Appendixというところで、

「The Principlesof Newspeak」、

ニュースピークの諸原理という

ところなのだ

そして、wasは過去形で、

その次はhad beenだから、

過去完了になっているのだ

イングリッシュソーシャリズムの、

イングソックのイデオロギー的な

要請に満たすために発明された、

これもう一つ前の過去で

過去完了形なのだ

明らかにニュースピークの時代が

終わったと、そしてそのあとの

時代の人が、歴史家か何かが、

研究者が、ニュースピーク

というのはどういうものだったか

について書いてるのだ

ということは、『1984年』の

社会は滅びたんだという、

そこに滅びたと書かないで、

このウィンストン・スミスは

完全に屈服してしまったのだ

この洗脳に、この社会にだ

しかし、そのあとこういう

時代はやはり続かなかった

んだということを、現代に

この付録というかたちで

ジョージ・オーウェルは示唆

したわけなのだ

この本の中で繰り返し出て

くるのは、コントロール

されていてるエリート、

この人たちはもう立ち上がり

ようがないけれど、

85%のプロレタリアート、

プロールには、そこにはまだ

希望があるんだと

いや、希望があると信じたい

ということを、この

ウィンストン・スミスが

考えるわけで言うわけなのだ

そして実際に言ってみて、

昔のことを知ってそうな

おじいちゃんと話すのだが、

じいちゃんはビールばかり

飲んでて、

ウィンストン・スミスは、

いや、昔はもっと自由で

いい社会だったんだ、

ものも豊かだったんだと

聞きたいんだけど、

そんな話はしてくれない

単なる酔っ払いの

じいちゃんでがっかりする

というシーンがあるのだ

しかし、どういうかたちで

かはわからないけど、この

左翼全体主義の体制が崩れた

ということを示唆しているのが

この付録の一番最後にある

非常に面白い部分なのだ

『1984年』の社会という

のはそういう社会であると

そしてこの中には、進んだ

コンピューターの今のIT技術

とかAIのことは出てこないのだ

だから、スターリン主義の

時代の、あの1930年代、

40年代のかたちで

ウィンストン・スミスさん

は歴史を書き換えたり

してるわけなのだ

そこのところは今の

テクノロジーを考えれば

全然違う、描写は古いなと

思われるかもしれないが

しかし、テレスクリーンで

すべてが、われわれの生活は

コントロールされてる

ということは、

だんだんそうなってきている

わけなのだ

われわれの持ってる

ケータイなのだ

シナのケータイなんか、シナが

売り出してるケータイも日本にも

入ってきているが、

持つと、自分の位置もわかるし、

それを向こう側、会社の側が

生かしてれば、

われわれが話してる会話、

電話を使ってないときも

向こうが盗聴できるし、

そしてその画面を通じて

周りに何があるかを

見ることもできるのだ

パソコンもそうでパソコンも、

逆側から探知して、使ってない

時も、それについてる画面とか

カメラでわれわれを監視する

こともできるのだ

そういう技術も随分普及して

きてるのだ。

われわれの側が使えないだけで、

中国共産党のような強権で

支配してる国家は、そういう

ことができるようになって

きているのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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