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変わるんじゃ

どうも村田です

弥生時代とは、

石器時代の後に

鉄器時代が来るという、

2つの利器の時代であると

いうことになるわけなのだ。

60年代からの年代の推移

をまとめたもの図によると

特に中国鏡の副葬が

始まる前漢鏡Ⅲ期の時期、

紀元前50年より新しい

時代の年代というのは、

炭素年代をやっても

ほとんど変わってないのだ。

だから、考古学の

交差年代法というのは

実は正しい方法なのだ。

本当に制作年代で

分かっているもので

やっているのだ。

ところが、制作年代の

分かっているものがない、

中期の中ごろより前の

時代の年代というのが

炭素年代によると、全部

変わってしまったのだ。

現在ではこれまで前期も

中期も後期も200年、200年、

200年、全部同じ時間幅だ

というふうに考えていた

のだが、

炭素年代をやると全部

ばらばら、土器形式に

よって使われた期間

というのは

ばらばらである

ということも分かって

きたのだ。

これは実は非常に

大きなことで、当時の

村の構造とか

お墓の構造なんかを

考えるときに非常に

大きな問題になって

いるのだ。

では現在では

どうなっているかというと、

これは山川の高校

日本史の教科書で、

2023年から使われて

いるのだ。

この教科書も残念ながら

紀元前10世紀ではなくて、

紀元前800年という説が

採用されているのだ。

だから、年代がさかのぼる、

紀元前4~5世紀ではなくて

さかのぼるのだけれど、

さかのぼるといっても

300年から400年ぐらい

だろうという説と、

それから500年さかのぼる

という2つの説が現在ある

のだが、

そのうち紀元前800年

ぐらいまでさかのぼる説

というのが高校の教科書に

採用されたのだ。

2つの説はどう違うか

というと、最古の

弥生土器をどれとするか

が違うわけなのだ。

一番古い炭素年代が出た

この時を一番古い土器と

して

炭素年代でいうと2,700

という数字なのだが、

これを年代に直すと

紀元前10世紀になるわけ

なのだ。

ところが、これが1つの

新しい段階の土器、

炭素年代が2,600台なのだが、

それを換算すると紀元前の

9世紀になってくるので、

紀元前800に近づいてくるのだ。

つまり、2つの説の違い

というのは、どの土器が

一番古いのかという

土器論上の違いである

ということが分かって

いるのだ。

実際の炭化米の年代では、

2,700台の炭化米というのが

存在するので、

紀元前10世紀頃から米が

あることは確かなのだ。

もちろん縄文土器にも、

米のスタンプ痕が付いて

いるから、

紀元前11世紀まで米が

さかのぼることは確か

なのだ。

でも問題は、いつごろから

それを作り始めたかという

話なのだ。

紀元前11世紀には水田稲作

はまだ行われていないのだ。

紀元前10世紀以降、

もしくは紀元前800年以降に、

このどちらかが

日本の水田稲作開始全体の

年代ということになるのだ。

ということで、なぜ500年

さかのぼるのかというのを

まとめると、

結局、炭素年代として

測った出土資料の

時期規定が曖昧だった

ということなのだ。

それから、もともと

考古学者が考えていた

紀元前300年に近い年代を

採用したということ、

しかもそれを誤換算して

しまったということなのだ。

では500年さかのぼると

どうなるかということ

なのだが、

すべての土器形式の年代は

ばらばらになったのだ、

ということとか、

弥生時代の存続期間が

約倍になったということ

なのだ。

それから前半は石器時代、

後半は鉄器時代になったのだ。

これを1つの時代として

考えてもいいのかという

新たな問題も出てきている

のだ。

ただ、これまで

「この竪穴住居いつごろですか」

「そうですね、弥生中期ごろ

ですね」

というふうに考古学者が

答えていたのが、現在では

「今から約2,300年ぐらい

前ですね。紀元前3世紀の

ものです」

というふうに数字で言える

ようになってきたので、

ここから新たな議論が

始まっているのだ。

社会全体を考える時の

物差しが大きく変わる

ことになるので

この辺も今後大きく研究を

左右していくことになるかと

思うのだ。

60年前は水田稲作、

九州で始まったらもう

30年から50年で近畿まで

広まったというふうに、

当時、食糧不足であえいで

いた縄文人は水田稲作に

飛びついて、

そしてあっという間に

広がったというふうに

考えられていたのだが、

現在では

「いや、なかなか

広がらなかった」

ということになっている

のだ。

年代が変わるとこのように

変わるのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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