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運動だったんじゃ

どうも村田です

先人たちの知恵が

たくさん詰まっている

というのが

伝統的な木造建築であり、

その木と共に歩んできた

神道的思想でもあるのだ

と思うのだ。

長く環境問題に携わって

きたけれど、

「一木一草にも神が宿る」

という自然観はとても

すてきな自然観であり、

このような日本古来の

自然観が世界に広まると、

地球規模の環境問題も解決

できるのではないか、

そのようなトリガー、

引き金になるようなパワー

を私たち日本人の文化は

持っているのではないか

ということを強く感じている

のだ。

次に

「日本の神聖性の維持」

というのをテーマにして

書きたいと思うのだ。

「神聖性」、いかに

sacred(セイクリッド)か、

清らかか、神々しいか

という話なのだが

具体的に言うと今

皇統問題というのが、

本当はもっときちんと

国民の意識に上ってほしい

と思っているのだがここ

数年間有識者会議が

開かれたりして、

ある程度国民の意識に

上っている皇統の問題と、

それからがかねがね気に

していて取材なども続けて

きた大麻の問題の両者には

実は非常に深い関係がある

のだが、その双方の専門家

である、

現在皇學館大学現代

日本社会学部の教授の先生に

伺っていきたいと思うのだ。

さて、以前にも伺わせて

いただいたこともある、

申しあげた通り、

大麻の問題というのは

これまで取材をしてきて、

ここに来て大麻の問題は

大きな動きがあったのだ。

まさにこんなにころころと

言ったら失礼かもしれないが、

急展開があるとは予想だに

していなかったのだが、

いい意味で追い風が吹いて

きているということで、

そういった話も伺ってきたいと

思うのだ。

そもそも先生は長野県の

生まれで御嶽山の登り口の

ようなところなのだ。

立派な木がたくさん

生えているところで

そういった

「ここは林業地なんだ」

というような意識は子供の

ころからあるのだが

林業地というよりも、父が

営林署に勤めていたのだ。

最後の方は上松という

伊勢の御用材の林があるの

だが、

今、神宮美林、昔で言うと

「備える林」だが、今では

「美しい林」と字が変わって

いるけれど、そこの署長も

していたのだ。

それではお父様も神道には

かなり造詣が深かったの

だろうか

単なる公務員だから、国家

公務員というところなのだ。

全くうちはそういうところ

には関係がなかったのだ。

しかし、先生のことを

「憲法学者」「神道学者」

「政治学者」というように

いろいろ書いてあるのだが、

先生の少年自身が神道や、

麻などにそもそも興味は

あったのですか?

普通の子供だったと

たまたまその時に小さい

パンフレットで

『宮中見聞録』

という本があって、その時に

昭和天皇とマッカーサーの

会見だとか、

昭和天皇にまつわる

いろいろなエピソードを

聞いたのだ

「マッカーサーが感動して」

とそういう話なのだ

あとは鹿児島に行かれた

時にずっと夜の戦艦榛名の

上で送り火に対して敬礼を

されていた

というような話を聞いて

感動したわけなのだ。

感動して友達に話したら、

多分左翼の先生だったのだろう

「先生に

『ああいうやつと話さない

方がいい』と言われた」

と友達に言われたという

話から、

「何でそんなことを言われ

ないといけないんだろう」

というところからなのだ。

だから、その先生が

いなかったらこうなっては

いなかったかもしれないのだ。

中学生のころで

そこで「何で」という

疑問が芽生えたのだ

それが戦後社会に対する

というか、国の在り方に

対する疑問のようなものに

だんだんと大きくなって

いったのだ。

ちなみに大学は政治学

だったのだが、ほとんど

勉強はしていなくて、

クラブで国史研究会という

のに入っていて、日本の

歴史について調べていたのだ。

渋いクラブで、その時に

ちょうど2年生の時に元号

法制化になった年なのだ。

元号法についていろいろな

討論をやったりしたのだ。

元号法制化が分からない方も

いるかもしれないので、簡単

に説明するのだ

今は令和でその前は平成だが、

敗戦の後で日本の元号という

のは天皇陛下がお亡くなりに

なったら改める

ということが皇室典範で

決まっていたのだが、それが

敗戦と共に皇室典範が変え

られてしまって、

その元号を作るという

ところか消えていたわけ

なのだ。

だから、昭和の後に放って

おくと、新しい元号が

立てられないということに

なっていたのを、

「法律を作ってきちんと

元号ができるようにしよう」

というのが元号法制化という

運動だったのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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