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認識されたんじゃ

どうも村田です

最後の一番古い

板付Ⅰ式土器に伴う

文化の状態は

どういうものだった

のかということに

ついて先に話すと、

まず石器を見ると、

これは中国や朝鮮半島で

穀物栽培が行われるとき

に使われていた石器と

形が非常に似たような

ものが実際に出てくる

ということなのだ。

例えば稲穂を摘み取る

穂摘とか、それから

木を伐採するときの

重量のある石おの、

それから木材を加工する

磨製石斧(せきふ)

といったもの、

この形態が中国や朝鮮半島

とすごくよく似たものが

実際に板付遺跡とか

九州北部の遺跡で見つかる

ということで、

「ああ、これは石製の農耕具

というものが存在するのだ」

ということが分かったわけ

なのだ。

それから、これも福岡市の

板付遺跡なのだが、

竪穴住居のある村の周りを

深い堀で囲むという、

そういう村の形、環濠集落

というふうに言うのだが、

堀で丸く、環状に取り囲む

という意味で環濠集落

というのだが、

これも中国では8,000年、

9,000年ぐらい前から

農耕社会において出てくる

村の形態なのだ。

村の周りを堀で囲むという、

これが板付遺跡でも前期の

一番古いところから

見つかったということで、

水田稲作をやる農耕社会が

最初から成立していたのだ

ということが確認される

ことになったのだ。

それから、鉄器も弥生時代

の最初からあるということ

が確認されたのだ。

それは熊本県の玉名市

というところに

斉藤山貝塚というのが

あるのだが、

そこで鉄のおのの破片が

見つかったわけなのだ。

これが板付Ⅰ式土器に伴って、

当時出土したというふうに

報告されたから、

鉄も弥生文化の最初から

あるのだと、水田稲作と

同時に

鉄器も使われだしたのだ

ということが分かったわけ

なのだ。

しかも、この鉄の化学分析

をしたところ、炭素量が

非常に低い鍛造鉄器と

言われているものなのだ。

鉄器には炭素量の高い、

鋳型に流し込んで造る

鋳造の鉄と、

それから村の鍛冶屋さんが

トントンたたいて造る

鍛造の鉄器というのが

あるのだが、

この斉藤山貝塚で

見つかった鉄のおのは

炭素量が低かったものだから、

これは鍛造の鉄だとなった

のだ。

当時、中国の東北部では

炭素量の高い鉄器を

造っていたのだ

しかし、炭素量の低い

鉄器というのは、長江の

下流域の辺りで造って

いたわけで

当時、中国の下流域には

楚という国があり、これは

楚の国で造られたという

鉄器が来ていたのではないか、

水田稲作自身も長江の下流域

で始まった農業だから、

農業も金属器も、そういう

意味では中国では南の方から

やって来たのだというふうに

考えられるようになったわけ

なのだ。

ここで初めて弥生文化・

イコール・稲と鉄の文化

という時代概念というのが

出来上がったということに

なるのだ。

これが今から約60年前の

話なのだ。

こういうふうな弥生文化の

世界史的意義、まず

普通金属器というのは、

まず青銅器が現れて、

その後に鉄器が現れるのだ。

ところがこの弥生はなぜか

鉄器が最初にあるのだ。

その次に青銅器が出てくる

から、これは世界の

先進文化の中で弥生文化

だけなのだ。

これはすごく驚かれたと

思うのだ。

鉄器は主に利器として、

おのとか武器のような利器

として使われ、

青銅器はお祭りの道具

として使われると、

このように鉄と青銅を

使い分けるという、

これが中国文明圏の特質で

あるということなので、

日本の金属器文化も

中国文明圏と同じ特徴を

持っているというふうに

考えられたのだ。

しかも農業の始まり、

水田稲作を始めたと同時に

鉄器も使われるというのも、

これもまた弥生文化だけ

だったのだ。

世界の正史文化というのは、

最初に農業が始まって

何千年も経った後に鉄器が

出てくるのだ

ところが弥生文化だけは

最初からある、農業を

始めたと同時に

鉄器も使っていたのは

世界では弥生文化だけだと、

このような

特徴を持っている世界で

唯一の文化であるのだ。

何でこういう現象が起きた

のかというと、結局、

弥生文化が始まった時の

中国というのは、もう

青銅器も鉄器もあるのだ。

そこから文化が来ているから、

同時に来ても全然おかしく

ないわけなのだ。

だから、そういう意味で、

秦や漢といった中国王朝を

中心とする

東アジア青銅器文化圏の

中の最も外側の世界なのだ。

辺境と言ってもいいのだが、

そういう所に位置する

日本列島で外国文化の導入、

つまり中国系の文化の導入

によって始まった文化が

弥生文化だと、

中国文明辺境文化説という

ふうな、そういう特徴も

弥生文化の特徴として認識

されたのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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