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意義があるんじゃ

どうも村田です

「家康がまだ京都に

滞在しているはずだから、

行って家康を狙うんだ」

というようなことが

内々に言われていた

のだ

これが本城惣右衛門で

だから、この史料に

ついては、

「信ぴょう性に随分

かけるんじゃないのか」

という意見も一時期出た

のだ。

しかし、やはり一言一句

読んでいくと、当然

「信ぴょう性に欠けるな」

と思う部分も出てくるが、

「これはやっぱりそうだろうな」

と思うことも、史料というのは

出てくるのだ。

その辺のところをもう少し

精査して読むといいのかも

しれないが、

これは結構信ぴょう性が

あると思っているのだ。

もっととんでもない資料を

1つ紹介したいと思うが、

これが『川角太閤記』という

本なのだ。

これは、一つ書きで書いて

あるから記録なのだ。

『川角太閤記』という

記録なのだ。

「江戸の初期」とあるが、

家康が死んで6年後か7年後

ぐらいのものなのだ。

だから、これを書いた

川角三郎右衛門というのは、

本能寺の時には生きていたから、

見ていたわけなのだ。

その様子が書いてあるのだ。

本能寺の変の前、何と書いて

あるか翻刻したのだ。

「京都森お乱」、

森乱丸のところより

ということだろうか。

「森お乱より、上様御諚には」、

上様が言ったことには、

「中国への陣用意出来候はば、

人数のたきつき」、

その兵の様子、人数の様子

ということなのだ

「家中の馬ども様子御覧

なさるべく候間」。

見るそうだから、

「早々人数召連れられ、

罷り上り候得」。

つまり「京都に来い」と

言っているのだ。

これが、森乱丸が明智に

出したと『川角太閤記』に

書いてあるのだ。

つまりどういうことか

というと、初めから信長は

光秀を京都に呼んでいた

ということになるのだ。

これは今までのものを

ぐっとくつがえしてしまう

のだ。

この『川角太閤記』の

信ぴょう性が問われる

ことになるが、

この1点を疑うというよりも、

これと関係付けていって、

この史料の存在を取るのか

取らないのかを考えていく、

これが歴史学の勉強の

仕方なのだ。

査読をするというのは、

こういうことを言うのだ。

だから、これを取り上げて

みたいと思って、

「信長は何をしようと

していたのか」、ここなのだ。

結論は、

「光秀の感じた危機感」

なのだ。

まずその前に、朝廷、

正親町(おおぎまち)天皇、

近衛前久(さきひさ)が、

信長に

「もうお願いだから反抗

しないで、どんな職でも、

一番偉い職を与えるから、

朝廷の下に従ってくれ」

ということなのだ。

そして、三職推任問題

というのがあり

「関白でもいいぞ。太政大臣

でもいいぞ。征夷大将軍でも

好きなものをやるよ」

と言ったのだが、

信長は

「こんなものはいらない」

と言ったのだ。

信長は、

「息子がそのうちに

大きくなるからやってくれ」

と言ったのだ。

この信長は、つい最近発見

された絵でこれを

「いらない」と拒否したのだ。

何故拒否したか、

「信長は朝廷の思うように

なりたくなかったのではないか」

と、誰でも当たり前のように

そう思うのだ。

つまり、『フロイスの記録』

によると、

「信長は当時

『キング・オブ・ジャパン』

と呼ばれていた。

『自分こそが日本の王である』

というふうに自認していた」

ということなのだ。

その結果どうしたかというと

正親町(おおぎまち)天皇

よりも誠仁天皇の方が自分と

しては御しやすいので、

あろうことか信長は

正親町(おおぎまち)天皇

の退位を要求していたのだ。

これはあってはならぬこと

なのだ。

その反説もあり

「正親町(おおぎまち)天皇

が辞めたいと言っているのに、

信長が辞めさせなかった」とか、

そういう例もあるが、

いずれにしろ1人の武家が

天皇に対してそういうことを

すること自体が大変なことなのだ。

これはやってはならぬこと

なのだ。

光秀は、ここに危機感を

持っていたということが

結論なのだ。

だから、「京都に来い」

と言われたのは確か、

事実だろうと思うのだ。

そして、ある方が推論された

けれども、推論の域は出ない

のだ。

京都に入って、光秀たちの

兵を連れて、

正親町(おおぎまち)天皇

に馬揃えを見てもらい

そして、御所に向かうのだ。

馬揃えというのは、みんな

金ピカの服装でやるのだが

桂川を渡ってきている

どろだらけの兵を朝廷の

前に出すようなことは

本当はしないのだ。

光秀は非常に忠実な

朝廷の臣下で最後は、

ひょっとして弓を向ける、

鉄砲を向けることに

なるのではないか、

だから相当悩んだと思うのだ。

「それぐらいだったら信長を

殺せということになったの

ではないか」というのが

推論なのだ。

「何が謎なのか」という

話をずっとしてきたのだ。

そこを理解して、あとは

いろいろと考えていただきたい

と思うのだ。

1つの考えが絶対正しい

ということは、歴史の世界

ではないのだ。

だから、推論を持ってきて、

「これだと主張するのであれば、

その根拠を示しながら主張する、

そしてお互いに話し合いをする、

これは大変意義のあることだと

思うのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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