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関係なかったんじゃ

どうも村田です

『西洋紀聞』は文字通り、

ヨーロッパ事情の伝い聞き

の本ということだから、

例のシドッティから聞いた

話や何かが書いてあるわけで、

ヨーロッパについては

25ヶ国、南アメリカが11ヶ国、

北アメリカが13ヶ国なのだ

だから、アメリカへの関心も

高まっていることは分かる

のだが、北アメリカに

ついては

カリフォリニアが目を引く

のみで、ほかは地名も

定かではないのだ

当たり前と言えば当たり前で、

白石は幕府の政治を引退して

から著作家になり、その

活動期間は1713年から25年間

なのだ

その年代を聞けば、

「アメリカの歴史もまだ

ほとんど展開していない

ではないか」

という混沌とした初期の

薄明の時代なのだ

言うまでもありませんが、

当時シナ大陸とアメリカ大陸

とを結ぶ太平洋航路はなかった

のだ

なぜなら北太平洋には近付けず、

入れなかったのだ

1853年にペリーが浦賀に

来港したときにも、

太平洋航路は開かれて

ないのだ

ペリーを乗せた帆船は

インド洋経由で来たのだ

このことについて案外

知らない人が多いのだ

つまり喜望峰を巡って

やってきたのだ

そして、スエズ運河が開設

されたのもやっとで

明治維新のころだったのだ

だから太平洋というのは、

日本人にとっても、また

西洋人にとっても、

長い期間、

いかに深い、暗い、

ぼうぼうとした未開の

海であったかということ

が言えるのだ

そのころまで太平洋は、

西洋では南と北に2 つの

大きな海があると思われて

いたぐらい分かって

なかったのだ

それを明らかにしたのが

ジェームズ・クックなのだ

ジェームズ・クックが

太平洋に入ってきて

ハワイを発見したのだ

クックは1760年から90年

の間に3回、北太平洋に

入っているのだ

それまでは太平洋の

北の方に入ってくる人は

いなかったのだ。

全く未知の大海原だったのだ

1760年から90年の間なのだ

クックだけが例外で中に

入ってきたわけなのだ

そして、ぐるぐる回って

いるうちにいろいろな

ドラマに出会ってるのだ

でも日本列島には立ち寄って

ないのだ

監視の外だったというより、

近寄りようもなかったわけ

なのだ

日本列島は幸運の女神に

守られていた、という

面もあるのだ

近寄りようもなかったのだ

だから、本当に孤独で

不思議な国、あるいはまた

不思議な位置にわれわれは

いたと

われわれの歴史はあった

ということも言えるわけ

なのだ

そして、日本列島に入って

くる情報は皆南蛮渡来だから、

南西から入ってきて、

そしてフィリピンから

台湾まで来るという

ケースが多く、

そこら辺りの情報が17世紀、

18世紀に多くなってくる、

非常に盛んになってくる

のだ

17世紀からそういうものが

どんどん入ってくるように

なるのだが

アメリカ大陸というものは

全然分からなかったのだ

西川如見が言った通り、

「考えないようにしよう」

ということだったのだ

日本列島に海と山はあり

越後の人にも海はあり

備前の人にも海はあり

土佐の人にも海はあったのだ

あったけれど、その海が

わが日本人の周りを

ぐるっと取り巻いて、

どういう位置にあるか

ということの認識は

あまりなかったのだ

日本がどういう形を成して

いるかも長い間分からなかった

のだ

分かったとしても一部の

知識人や、治世をつかさどる

幕府の役人が分かっていた

だけで、一般の民衆は

知らないのだ

だから、備前の海が越後の

海とつながっているなんて

いうことは考えないし、

考えなくてもいいことで、

われわれにとって宇宙の

人工衛星がいくら飛んだって

関係のないように、

関係なかったのだ

認識というのはそういう

ものなのだ

でも、やはり人工衛星が

どんどん飛ぶ、宇宙を

握っているやつは強いから

だんだん圧力が加わる

わけなのだ

それで慌ててくると

いうことになるわけで

そういう意味では、日本は

本当にうかつな場所にいた

ということが言えるわけだし、

幸運でもあったわけなのだ

今までは列島の物語の

主人公の性格規定と、

生まれと育ちと、

置かれた環境の幸不幸の

両面を申しあげたが、

列島の周りは非常に海が

険しくて、

特に北東方面は、今の

汽船会社でもこの路線を

通ってアメリカまで行くのに、

大変用心深い工夫と訓練が

ないとタンカーが横切る

のも実は大変なのだ

それぐらいこの海は溟海

というか、暗い海なの

だけれども、

古代、2000年ぐらい前の

人々はどうだったのだろう

という話にいくのだ

人類は一体どういうふうに

動いてきたかということに

ついて、よく言われるのは

アフリカ起源説なのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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