どうも村田です

人や知識や歴史認識
という媒介を抜きに
つながりやすくなって
いる
そういうことを
言いたいのだ
それをどうやって見て
いくのかだが、当然
こういう話は歴史の
教科書には
書いてないし、歴史家、
歴史研究者にはおそらく
扱いにくい対象になって
くるのだ。
歴史研究もやるけれど、
通常の歴史学とは少し
違うアプローチでこの
問題にチャレンジして
きているのだ。
そこで見えてきたこと
やそこで得られたことを、
すべてとはいかないのだが、
「こんなことが
起こっているのか」とか、
「なるほど、こういう
ものを通して見えて
くるんだな」という、
その一端を見ていもらい
たいと思うのだ。
ということで、
手がかりとしては特攻隊、
これが現代において
どういうふうに受け
止められてきているのか、
これを手がかりにしたい
と思うのだ。
どういうふうに受け
止められてきている
のかがすごくよく
分かるのが、
自己啓発と呼ばれる
ジャンルの本や研修、
それからエンタメ、
エンターテインメント
の世界、小説とか映画の
形でそれがよく分かる
ということなのだ。
では。戦死者と
つながりやすく
なっていることを
見るための
1つの事例を取り上げ
るのだ
「なぜ知覧に行くのか?
最後の手紙と自己啓発」
なのだ
知覧という地名はご存知か?
実は私は恥ずかしながら
知覧という地名を意識
したのは、もう今から
10年ぐらい前なのだ。
ちょうど研究者の仲間
と鹿児島にある、今は
南九州市だが、
知覧特攻平和会館に
行くことがあったのだ。
その時に知覧というのが
かつて陸軍の特攻基地が
あった場所で、
この特攻平和会館という
のがすごく今特別な場所
になっているということ
を知ったのだ。
それまで知覧は、
戦争関係の本を読んで
いると目には入ってくる
のだ。
九州のいろいろと
基地がある場所で、
その中に知覧
ということで目には
していたのだが、
それが一体歴史の中で
どういう意味があった
のかというところまで、
実は考える機会がなかった
のだ。
しかしその知覧特攻
平和会館に行く機会が
あってから、
「ここはなかなか
すごい場所だな」と、
すごいというのは施設の
中身がすごいというよりは、
いろんな人を引き付ける、
そういう力を持っている
場所だなというのが
分かってきたのだ。
最初に、知覧というのが
戦争中どんな場所だった
のかというのを簡単に
説明するのだ。
知覧特攻平和会館の
ホームページから
借りてきた写真と、
それから地図があるけれど、
知覧というのは今、
鹿児島県の南九州市にあり、
九州の最南端にある
陸軍の航空基地という
ことになるのだ。
陸軍が知覧、それに対して
海軍は鹿屋という場所
なのだ。
緯度としては知覧も
鹿屋もほぼ並んでいる
場所なのだが、
どちらも九州最南端の
基地ということで、
これが昭和20年の沖縄戦で、
ここからたくさんの
飛行機が沖縄に向けて
飛び立っていく、
その出撃の前線基地に
なるのだ。
だから、鹿屋は今、
海上自衛隊の施設がある
けれど、知覧はそういう
場所であるのだ
ここには1,036柱の遺影、
遺書、遺品が集められて
いて、写真にあるのは、
これは零式戦闘機、
海軍の飛行機なのだが、
海軍関係のものも
置いて展示して
あったりもするのだ。
それで、10年前に研究者
の仲間と知覧に行って、
平和会館も見てくるわけ
なのだ。
私の研究者の仲間は
社会学を専攻していて
社会学というと、
あまりいい印象を持って
いない方もいらっしゃる
かもしれないけれど、
こういう戦争関係の
施設に行くときは、
対象と少し距離を取って
批判的な視点で展示を
見たり、ここに来ている
人たちを観察したり
というのが身について
いるわけなのだ。
私自身も教育社会学、
社会学の1分野なので、
そういう最初から没入
するのではなく、
ある程度距離を取りながら
批判的に対象を見ていく
というのはもう身について
いて、
最初はそういう仲間と
一緒に、
「これはああだね」
「この施設はこういう
意図で作られているな」
とか、
そういう目で冷静に
見ていたわけなのだ。
その中で、この知覧
には当時の特攻隊の
お世話をした陸軍の
指定食堂の方がいて、
これが鳥濱トメさん
という方なのだが、
その鳥濱トメを継承する
人たちが旅館とか、
あるいは食堂をやって
いて、その鳥濱トメさん
の記憶を継承しているのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

