どうも村田です
新年あけましておめでとう
ございます
では行くのだ

日本はそうした
「文化国家」
であったがゆえに
歴史が長く続いて、
なおかつ全体を統治
する存在としての
天皇がいたり、
現実の政治を行なう
幕府があったり、
さらに
朝廷と幕府の相互
関係があったりした
のだ。
そのような
日本的な文化国家の
概念を、日本人は
近代に入って
きちんとした
アカデミズム分野
としての
政治学に昇華
しきれなかった
ところに問題がある
と思うのだ。
戦前の日本を
見渡しても、
「国家という法人に
主権があるのだ」と
いい出したり、
「いやいや天皇に
主権があるのだ」
といい出したり、
しまいには
「じゃ主権とは何だ?」
とかいい出して
揉めてしまって安定
しないということ
だったのだ
天皇機関説と
国体明徴運動に
分裂していくのだ。
それと
『神皇正統記』
のスリリングな
ところを挙げると、
やはり「代数」と
「世数」という
考え方なのだ
結構危ういところが
あるのだ。
天皇の系統も
一筋縄ではいかなく
系統が途絶えたり、
波乱万丈だったり、
決して万世一系とは
いえないのだ。
逆にいうと、
今日(こんにち) まで
天皇家が続いてきた
のは奇跡に近いというか、
北畠親房の解釈で
いえば相当危ない橋を
渡って来たということ
になるのだ。
そう考えると、
天照大神の御神意は
本当にあるなという
感じがしないでもない
のだ。
ではさらに、現代の
私たちがどういうふうに
「国体」や「政体」
をつないでいくか
という問題について
なのだ。
先ほど、
国家と主権(者)に
ついて説明があったが
日本では、天皇が
主権者かどうか
という問題が
歴史上ずっと
議論されてきたが、
主権という概念自体、
色々な人が説明して
いるのだ。
代表的な人物でいうと、
ドイツの政治学者である
カール・シュミット。
彼は、主権は
キリスト教神学の
影響を相当受けている
といっているのだ。
ひとりの人間、
ひとりの代表者、
ひとつの分割不可能な
主権というものが
存在しており、
それがあるからこそ
国家や秩序が出来上がる
のだという考えなのだ。
ホッブズの場合は、
彼が活躍したのが
十七世紀だから、
いわゆる絶対主義
王政の時代だったのだ。
絶対主義王政の理論を
正当化するためには、
絶対者に対して
服従するという
支配構図がないと
国家は成り立たないのだ。
そうしないと、すぐに
戦乱に陥ってしまうのだ。
他方、日本の場合を
考えてみると、実は、
水戸学は
キリスト教の影響を
受けたとする政治学者の
片山杜秀氏の説がある
のだ。
前期の水戸学は
北畠親房の影響を割と
受けているから、
君主の徳についての
内容を盛り込んでいる
のだが、
後期の水戸学になると
一転して
「北畠親房は不敬だ。
天皇に対して徳がある
とかないとかを論評
している。
本来天皇は絶対的な
存在であるべきだ」と
いうふうにいって、
天皇主権論の下敷き
をつくってしまうのだ。
明治時代に
なると天皇=主権者
となり
明治憲法
(大日本帝国憲法)
にも
「天皇は神聖であって
侵してはならない」
(神聖不可侵)
ということが書いて
あるのだ。
大日本帝国憲法
および皇室典範の
逐条説明書である
『憲法義解』
の原案を起草した
井上毅(いのうえこわし)
は、
天皇の統治理念を
「シラス」としたのだ。
力によって支配する
「ウシハク」
とは異なって、
公平に治めるという
意味を持っているのだ。
要するに
「主権者は誰ですか?」
と聞かれた場合
「それは天皇です」
というのですが、
「ちょっと違和感がある」
というので様々な要素
(エクスキューズ)を
付け加えようとするのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

