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同じなんじゃ

どうも村田です

首相を辞めた安倍首相、

安倍内閣が悪い。

安倍のせいだ。

安倍に任しとくと右翼で、

全体主義で、権力主義で

危険だ。

本当にそうか?

役人が、正しいと思われる

べき記録を改ざんした

改ざんに絡んで自殺した

官僚もいる

まあ自殺にいろんな意味で

追い込まれたのだろうが

しかしそれに関しては、

日本ではマスコミも自由に

批判できるのだ

われわれ一般市民も批判

できるのだ。おかしいなと

いうことを言うこともできる

のだ

それに比べて国民が、全く

政府のやってるこれ以上は

ないような大がかりの詐欺、

欺瞞、国民をだます行為

歴史の捏造、それに対して

全く抗議できない国があるのだ

今の中華人民共和国で

そしてその歴史改ざんを

われわれに押しつけてくるのだ

それに対して、日本のマスコミは

協力してそれをはねのけることが

できないのだ

シナで起きていることのほうが

はるかに大きな権力悪で

国家があり、権力がある以上、

権力悪というのは小さなものでも

必ず起きてくるものだと思うのだ

それに目をつぶってはいけない

それはそのとおりだが、

小さなわが国の権力悪だけに

目を向けることによって、

日本の外側で起きている

もっと巨大な権力悪について

関心を払うことがなければ、

そのほうがはるかに重大な

自己欺瞞で自分で自分を

欺くことになると思うのだ

だからこれらの本を読むとき、

オーウェルから学ぶとき

われわれはわかってるようで

実はわかってないのだ

これだけひどいことを

中華人民共和国が国内でやり、

そして世界に向けてやってる

のだ

罪のない人をつかまえて、

民族が違うというだけで

臓器移植の対象にして、

殺してしまう

そういうことも行われている

のだ

そして主流派の、多数派で

あるはずの漢民族でも

自由を求める、

民主政治を求める人たちは、

容赦なく牢獄に入れ、

拷問をし、殺してしまうのだ

そういう恐ろしい、

スターリン主義以上の

スターリン主義の政治

体制が、今、シナで現実の

ものとなっているのだ

それに対して抗議の声を

上げないで、

ジョージ・オーウェルを読んで

いますとは言えないと思う

のだ

そのことにますます

気をつけなければいけない

のだ

先日も書いたが右寄りの

全体主義なんてないだ

少なくとも先進国に

おいてはないのだ

先進国においては、

ナショナリズムはその国の

民主政治の体制と一体と

なっているのだ

自由を守る、

基本的人権を守る。

言論の自由を守る。

そういう民主政治の

体制を大事にして

いこうというのが

先進国で起きている

草の根の、保守の動きなのだ

それがトランプの運動になり、

イギリスでも一部、その

ブレグジットの動きに

なったのだ

そして、

イタリアでは同盟

昔、小国同盟といい

今の同盟、この保守の

動きはそういう動きだから、

自由を守れということ

なのだ

そういう運動

言論の自由を守り、そして、

人間の基本的人権を

しっかり守っていこう

民主政治を守っていこう

という側だから、ここから

全体主義が生まれる危険は

全くないのだ

そして、ナチズムや

ファシズムといった、

右寄りと言っていいと

思うが、

そういう運動は、

既に第二次大戦で

木っ端みじんにたたき

つぶされているのだ

望んでもそれは復活する

ことなんかできないのだ

だからわれわれが警戒

すべきは本当に、

ジョージ・オーウェルが

繰り返し言った

左翼の、社会主義の

全体主義なんだという

ことなのだ

そして、この

『1984年』が批判している

のは、ニュースピークと

いう

イングリッシュ

ソーシャリズム。

イギリス流の社会主義、

略称イングソック。

イングソックの

イデオロギーを言い表す

ために、人工的に作られた

言語はニュースピークなんだ

イングリッシュ

ソーシャリズム、

ソーシャリズムを

否定してるのだ

イギリス流の社会主義

ソ連流の社会主義

とは見かけが違う

かもしれないが、

行き先は同じだよ

ということをオーウェルは

言ってるわけなのだ

オーウェルは、彼自身の

考えをソーシャリズムの

一種と呼んだことはあるが、

それは、自由な民主政治を

前提として、社会的な

平等主義によって、

この社会の底辺で

働いている人たちにも

少しでもよい生活ができる

ような、

今で言えば福祉の充実した

社会、それを主張しているに

すぎないのだ

彼は全体主義を優先させて、

安定のために個人の自由、

基本的人権を、言論の自由を

放棄するような体制は決して

許さなかったということなのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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