どうも村田です

東條は堂々として、
「何ら間違ったことを
した覚えはない。正しい
ことをしてきたのだ」
と、こう毅然と答えるのだ。
そうすると、この勢いに
圧倒されて、キーナンは
捨てぜりふのごとくに
「それでは、もしなんじ
が無罪釈放となった場合、
なんじは同僚とともに同じ
ことを繰り返すつもりなのか」。
こう決めつけたのだ。
これはさすがに
ブルーウェット弁護人
からすぐ異議が出されて、
ウエッブ裁判長はこの質問は
取り上げられないと言って
却下するのだ。
以上が東條とキーナンとの
1対1の対決の、最も人の
耳目を引いた肝要の部分で
あるのだ。
思うのは、この段階に
おいては東條はすでに
死を覚悟しているのだ。
死刑を覚悟しているのだ。
だから検察官に向けての
迎合的な議論を述べて、
判事団の心証を良くして
おこうなどという計算は
全くないのだ。
むしろ、被告全員というより、
敗戦国日本の官民全員の怒り
を代表して、
この裁判所を支配している
不条理に挑戦したと言える
のであるのだ。
大東亜戦争の大義について、
長時間思索を凝らし、
苦心惨憺(さんたん)
の長大な供述書を作ったのも、
つまりは日本国民を代弁し、
そしてまず天皇を弁護する
ためであったのだ。
議論のうえでは、
キーナン検事を圧倒した
との印象が強く残るのだ。
この個人立証も、
ジャーナリズムでは
必ずしもというか、
少しも好評ではなかったのだ。
朝日新聞は昭和20年10月
の根本的な方針転換があった
あれ以来、占領直後のこと
であるが、完全にGHQの
御用新聞となりすまして
いるのだ。
朝日新聞は昭和22年12月28日、
つまり東條さんの口供書が
法廷で朗読された翌日、
そのすぐ後の社説で、
「東條口供書を読む」
と題する批判を掲載して
いるのだ。
で、この批判を読んでみると、
80年後の今日、朝日新聞が
とっている論調と全く同じで、
笑ってしまう
くらいなのだ。
最も特徴的な一節を取り
出して引用しているのだ。
以下、その昭和22年12月末
の朝日新聞の社説なのだ。
「長文の口供書を貫く根本の
思想は、太平洋戦争がやむを
得ぬ自衛戦争であったという
主張である。
万一、太平洋戦争開戦と
なる場合、容易に勝算が
あり得ないことは当然で
あったにもかかわらず、
ここに至っては自衛上
開戦もやむを得ないとして、
日本にとって無効かつ
惨害をもたらした戦争に
突入したのは、
当時の指導者である彼が」
東條のことを
「わが国の自存自衛のため
にはこれ以外の手段がないと
信じたからだというのである」。
「われわれ国民は、この
自衛権の発動という言葉を、
満州事変勃発当時に
さかのぼって思い起こす。
当時、リットン報告書は、
この自衛権の発動という
思想を否定した。
国際連盟理事会は13対1、
同総会は53対1の圧倒的
多数をもってこの主張を
否認した。
にもかかわらず、軍部は
全世界の世論を無視して
この主張を貫き、その後、
幾度か自衛戦争の名において
帝国主義的侵略戦争を正当化
しようとした。
そして、この主張が東條
口供書において臆面もなく
繰り返されているのである」。
これが当時の朝日の社説なのだ。
これは当時の朝日新聞が
もう極東国際軍事裁判所
条例と完全に一致する
大東亜戦争史観に沿って
社論を構成していたことを
示す良い証拠文書になるのだ。
これももちろん、昭和20年
9月29日に日本の主要新聞が
国籍不明の異様な活字媒体
に変質せしめられた
というのは、これは
江藤淳さんの大変有名な
指摘であるのだ。
「20年9月29日以降、
日本の新聞は国籍不明の
異様な活字媒体に変質
せしめられた」
というのは、江藤さんの
指摘なのだ。
それ以来作り上げてきた
朝日新聞の体質に見合った
論調なのだ。
それからもう1つ
朝日新聞は第一面のコラム、
「天声人語」
という有名なコラムを
持っているのだ。
そのコラムをもってしても、
昭和23年1月8日付で東條の
証言についての批判を記して
いるのだ。
また引用してみるのだ。
「このごろ電車の中などで
『東條は人気を取り戻したね』
などというのを耳にする
ことがある。
本社への投書などにも、
東條礼賛のものを時に
見受ける。沈黙している
大部分の国民は、
今さら東條のカストリ的」、
カストリというのは、その
当時よく飲まれたひどい
焼酎のことなのだ。
「璽光(じこう)様的」、
これは当時はやっていた
新興宗教で
「東條のカストリ的、
璽光(じこう)様的迷句」、
迷句はまさに迷いの句で
「迷句に酔うとは思われない。
が一方に東條陳述共鳴の
気分が隠見していることは
見逃してはならない」
要するに
「これは危険な言葉だぞ」
「見逃してはならないぞ」
と天声人語まで言っているのだ
そういう文言が出ているのだ。
すなわち、朝日新聞が
社説とコラムの両方を使って、
いら立ちを表明せざるを
得なかったほど
東條の証言はキーナンを
圧倒して成功を収めたのだ。
東條さん自身、自分の証言
の出来栄えと、それから
世間に与えたその効果に
満足したであろう。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

