どうも村田です
古代中国の思想は神話を
否定し、排除するのだ
しかし日本はそれを強める、
だから一致しないのだ
統合制度の中で出身とか
民族を差別しないで、
土地を国有化して平等に
分配するというやり方で、
日本の場合は有名な
班田収授法、班田制と
いうのがあるのだ
これもシナ、中国から
受け入れたのだ。
けれど、官僚制度も始めは
うまくいくのだが、日本人の
場合はどうしても民族とか
出身、土着の出生した伝習や
地域の多様性を
無差別にやるということが
できなく、その高度な要求が
理想にとどまってしまうのだ
ということがあって、
逆戻りしてしまうのだ
結局、豪族の支配を脱して
王権に合理的に土地を収受して、
それを民衆にもう1回分け渡す
という、
これが班田収授法の理想主義
だろうが、うまくいかないのだ
豪族の支配が復活してしまう、
繰り返し繰り返しそういう
ことになるのだ
だから、科挙などの制度も
うまくいかないわけなのだ
ここで全然受け入れられ
なかった、中国の科挙の制度、
これは中国に強いものだが、
科挙は国家公務員試験
のことなのだ
それから宦官、
それから族外婚。纏足。
これもまた日本に
入らなかったのだ
この中で一見合理的に見える
のが科挙だが、これは
中国の場合には郡県制と
結びついているのだ
何郡、何県という郡県制
なのだ
官僚は要するに、官吏
のうちの官と吏と分けて
いるのだ。
官は高級官僚、吏は地方官僚。
役人のことを官吏という
言葉を使うが
官と吏と分けて、
官は高級官僚で吏は手足に
なって働く地方官僚なのだ
合わせて官吏と今でも
われわれも使うのだ
3年に1回、官は中央で
科挙の試験に合格して
派遣されてくるのだ。
3年経ったら交代し
それに対して実際に働くのは
吏で、官は頭に付いている
キャップみたいなものなのだ
どうしてこのような制度が
生まれたか不思議で仕方
ないけれど、
これは皇帝の権力の維持の
ために絶対に必要な制度で、
しかも3年で1回交代する
のは、
その土地、土地の人情に
溺れないためなのだ
郡県制の反対概念が封建制で
封建は、殿様がその土地を
一番トップから譲り受けたり
借り受けたりして、
ある地域を長期にわたって
支配する、それが封建制なのだ
我々はそれを知っており
江戸時代はまさにそういう
時代で、江戸時代の前も
そうだったのだ
日本が古代郡県制度を
やろうとするが科挙の
制度が日本では成功
しないのだ
これがまさに氏姓
というのに負けて
しまうわけなのだ
氏姓は結局、その土地、
土地の土着、血縁性の
強いもの
それがどうしても日本の
場合は強いから、郡県制に
ならないのだ
せっかくそういう合理的な
やり方をしても、日本で
郡県制が成立するのは
明治以降なのだ。
変な話なのだが、科挙の最も
うまくいかなかったこの国が、
明治になって逆に封建制が
終わったとたんに、
非常に理想的な郡県制、
官僚官吏統一国家を
生み出すのだ
今でも東大法学部出身者が
卒業するとすぐに地方の
税務署長になったりするが
ああいう制度は明治時代にも
そういう制度が復活して、
非常にある意味では合理的な
働きをしたのだ。
今はどうか分からないが、
一時の日本にとっては
非常に役に立つ制度だった
のだ
確か、科挙を廃止した
同じ年に日本が
高等文官試験を導入
しているのだ
皮肉なことで江戸時代は
あんなにうまくいかなかった
のに明治はうまくいくのだ
近代化とむしろ結びついたのだ
中国はどうかというと、
これがどうしても
結局、この研究もあるけれど
封建制と郡県制をめぐるシナ、
中国の古代中国から近代中国へ
向けてのそういう研究もある
のだ。
調べだすと大変な問題で
よく分からないのだが、
でも、科挙は日本ではうまく
いかなかったのだ
何度か試みられてはいる
のだが、結局権門の支配に
屈服してしまって、
試験などやっても、誰か
決まった門閥の人しか
入らないというふうに
なってしまうのだ。
そういうふうに中国では
ならないから、すごいのだ
そのやり方を見ると、
気が狂ったようなやり方
なのだ
だから、一度は抽象的な
法の高度文明の、法の体系
というのを身に浴び、
宗教もそうだし、官僚制度も
そうだし、軍隊のシステムも
そうなのだ
古代中国は、ある段階で、
例えば秦と漢の時代は
近代化が達成している
とも言えるのだ
それはもはや1つの
完成した文明なのだ
見事な大軍隊も統率できるし、
日本は2000年をかけた
後追い国家だと思うのだ。
明治日本が西洋を今度は
見て追いつけ、追い越せの
後追い国家をやったように、
古代、近世、近代の江戸時代
まで、中国の完成した
いろいろなもの、
つまり高度シナ文明を学ぶ
という、それを学べないと
分かっていてすらも学ぶ
という、
そういう追いつけ、
追い越せ国家なのだ
これは間違いなのだ。
気付かなかったのだ
ほかに方法がなかったのだ
学ぶものがほかになかった
から外のものを比較すると
それしかなかったし、
それが外であまりにも
うまくいっていたのだ
しかし、日本は
「自分たちに合わない」
と思ったからやらなかった
のだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる