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論じだすんじゃ

どうも村田です

戦後日本の現実主義、

親米保守もだんだん

崩壊するのだ。

なぜかというと、

「アメリカさんに

力を頼ってくのも

いいでしょ」という、

安易な形のあなた任せ

の生き方、これが本当

に終わるのだ。

そうすると、米国の

後退、超大国アメリカ

の陰で対米依存を続ける

ことが不可能になり、

親米保守が、つまり

読売新聞が、あるいは

産経新聞が、あるいは

日経新聞が不可能に

なるという、

ここまでくるのだ

しかし、親米以外、

方向性を見いだせない

ままに

ずっと迷走し続けた

のが今までの自民党で

あり、

かつこの失われた30年

なのだ。

だから力の体系、

利益の体系、そして

価値の体系、特に

価値の体系だが、

そこがあるかないかで、

これだけ違うのだ。

価値の体系があったら、

そこから利益は

どうやってつくって

いくのか、

そこからどうやって

力をつくっていくのか、

それによって親日保守

が可能になるのだ。

けれど、価値がないから、

どうやって新日保守が

可能だろうか。

できないのだ。

それが今問われている

と同時に、戦後は

ずっとそれを問うて

きたのだ。

本当はオルテガの話

をしたかったのだが、

オルテガの話は少々

余談なので、

少しだけそこに抵抗

してきた系譜、それを

皆さんと一緒に確認

したいのだ。

だから重要なのは、

親日保守と言えば

簡単だが、

おそらく何と言いたい

のか、保守思想、

あるいは価値の問い

なのだ。

価値の問いなので

これを誰がやってきた

かというと、3人

挙げてみるのだ。

江藤淳、三島由紀夫、

そして西部邁(すすむ)

なのだ。

江藤淳はこう言って

いるのだ。

これは非常に私にとって

象徴的で、分かる言葉で

「占領時代に、彼ら

『アメリカ人』が『父』

であり」、

アメリカは価値だったのだ。

「彼らが『天』だった。」

そこまで言うのだ。

「しかし、占領が法的に

終結した時に、日本人

にはもう『父』は

どこにもいなかった。」

マッカーサーが帰って

しまったのだ。

「そこには超越的なもの、

『天』に代わるべきもの

は全く不在であった。」

つまり価値がないのだ。

「もしその残像があれば、

それは『恥ずかしい』

敗北の記憶として躍起に

なって否定された。」

つまり、日本人の価値

などというものを語ろう

ものなら、

そんなものは恥ずかしい

と言って否定されたのだ。

「この過程はまさしく

農耕社会の

『自然』=『母性』が

『置き去りにされた』

者の不安と恥辱から

懸命に破壊されたのと

表裏一体をなしている」、

何を言っているかというと、

「高度経済成長で

結局農耕社会の伝統も

失っちゃった。

父もなくなって、

お母さんもいなくなった」

ということなのだ。

「帰るべき母なる大地、

母なる自然、それも相当

変えちゃったじゃないか。

3世代、大家族、地方、

故郷、それすら

なくなったじゃないか」

と言っているわけなのだ。

「先ほどいったように、

今や日本人は『父』も

なければ『母』もない、

そこでは人工的な

環境だけが」

つまり高度経済成長で、

都市社会だけが

「日に日に拡大されて、

人々を生きながら枯死

させていくだけである」

と言ってこの枯死を

予言するわけなのだ。

だからこそ江藤淳は

戦後日本人の起源である

ところの占領憲法、

この研究へと後に入って

いくことになるのだ。

ここを問い返さない限り、

日本人の価値の起源は

見えないだろうと

いうことなのだ。

もちろん、この

三島由紀夫はいろいろな

評価があると思うが、

やはり面白い言葉だから

拾ってみるのだ。

彼の批評は、自分自身

への批評であったゆえに、

非常にリアルだったと

私は思っているが

彼はこう言っている

のだ。

「戦後の二十五年間に

希望を一つ一つ失って、

もはや行き着く先が

見えてしまったような

今日(こんにち)では、

その幾多の希望が、

いかに空疎で、いかに

俗悪で、

しかも希望に満ちた

エネルギーを厖大

(ぼうだい)で

あったかに唖然とする。

私はこれからの日本に

対して希望をつなぐ

ことができない。

このままいったら

『日本』はなくなって

しまうのではないか

という感を日増しに

深くする。日本は

なくなって、

その代わりに無機的な、

からっぽな、ニュートラル

な、中間色の、富裕な、

抜目がない、」

ここには全部価値が

ないのだ。

「価値がない、或る

経済大国が極東の一角

に残るであろう。

それでもいいと思って

いる人たちと私は口を

聞く気にもなれなく

なっているのである。」

といって、三島は

まさに価値を論じだす

のだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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