どうも村田です

天皇の「血」
ばかりに拘ることで、
天皇が生物学的な
存在に
落とし込まれて
しまうような
気がするのだ。
天皇というのは
国体であり、
生物学的な存在に
とらわれないもっと
広がりのある存在
なのだ。
それこそ天の根源神
とつながっている
のだ。
同時に、
日本国の連続性
(日本の歴史の
中での連続性)
を象徴する存在だが、
現実の政治は臣下
たちが行なうもの
なのだ。
そうした議論が
すべて抜け落ちて
しまっている感じ
なのだ。
伝統というものの
捉え方が非常に狭く
なったと思うのだ。
文芸評論家の河上
徹太郎氏が
『日本のアウトサイダー』
という本を書いて
いるのだ。
この中に
「正統(しょうとう)
と伝統は無縁ではないが、
正確には別物である」
という言葉があり
近代の日本において
正統(しょうとうOrthodoxy)
が何もないということを
指摘しているのだ。
日本人はキリスト教を
受容したのだが、最終的
にはキリスト教を除外
していくわけなのだ。
信仰としてのキリスト教
を除外し、代わりに
西洋の文物を取り入れた
のだ。
つまり「精神」を
捨て去った代わりに、
「物体」を取り入れた
ということなのだ。
河上氏が述べた近代に
おける正統
(しょうとう Orthodoxy)
の不在は、
おそらく現在にも
いえることなのだ。
ヨーロッパでも、
十六世紀の宗教改革の
ときに
「どちらが正統か?」
ということ明確にする
ために、
「おまえは異端だ」
「いや、おまえこそ異端だ」
と神学論争を始めるのだ。
おっしゃるように
プロテスタントなのだ。
カトリックが腐敗
していくのだ
が、そのときに
プロテスタントが
保守するための改革
(Reform to Conserve)
を行なったのだ。
キリスト教精神を
リフォームするわけ
なのだ。
原始キリスト教と
いって、パウロにまで
戻る、聖書にまで戻る
のだ。
キリスト教を改革して
本物の正統思想を
見つけ出していくのだ。
最も古いものの中に
最も新しいものを
見いだそうとしたのが
宗教改革なのだ。
そういう意味では、
改革というよりは根源
に戻るという思想運動
なのだ。
北畠親房が神代
(神様の時代)
から皇統の系譜を
遡っていくのと
何か似ているのだ。
正統思想と革命は
結び付くのだ。
いまの世の中が
間違っているとしたら、
正統精神をもって国家を
つくり直す運動が起こり
得るのだ。
ところが伝統というのは、
エドマンド・バークが
述べるように革命と
あまり結び付かない
というか、
むしろ革命は良くない
という話になるのだ。
それでも革命は重要
だと思うのだ。
どうしても革命と
いうと、フランス革命
や共産主義革命
といった近代のもの
を想像してしまうが
宗教改革は換言すれば
「宗教革命」なのだ
イエス・キリスト教団
は、ユダヤ教団に対する
革命だといえるのだ。
ドイツ出身の
政治哲学者である
ハンナ・アーレントが
『革命について』
という本の中で、
「巡り来たる、もとの
ポジションに戻るもの」
というのが、
革命のもともとの意味
だといっているのだ。
革命と、本来の根源に
せまる保守思想は結び
付いていると思うのだ。
これからチャンス
かもしれないのだ。
北畠親房が生きた時代
というのは、天皇家が
二つに分裂してしまって、
一体どちらが
正統(しょうとう)
なのかを争っていたのだ。
江戸時代に入っても
「北朝と南朝は
どちらが正統なのか?」
という議論があり
そうした議論が続いて
きて、令和のいま、
天皇の男子がいなくなって
「女性や女系天皇を
認めてもいいのか?
それは果たして正統なのか、
異端なのか?」
という論争が始まるのは、
近代以降の日本の歴史に
おいてなかったかもしれない
のだ。
正統(しょうとう) に
ついて議論する絶好の
チャンスなのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

