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重要なんじゃ

どうも村田です

親房は武家を

決して否定しない

のだ。

北条泰時の評価も

非常に高いのだ。

承久の乱では天皇を

攻めた側だが泰時を

評価しているのだ。

だからこそ、親房は

いつも皇室側に立って

いるわけではない

ということなのだ。

三島由紀夫の言葉を

借りると、武士が

反乱を起こしたのだが、

それにも正当性が

あったし、なんなら

天照大神は

反乱する側を応援

したのだという感じ

なのだ。

日本では皇統を伝え

給うという意味で

天皇家が長く続いて

おり、

国体は変わらないのだが、

天皇の補佐というか、

天皇に代わって

現実政治を行なう

ような臣下たちは

どんどん代わって

いくのだ。

例えば聖徳太子、

藤原氏のような貴族、

源氏にはじまる

幕府体制、

最後は徳川幕府など

政体の転換は、時代の

変わり目で起こるのだが

国体はそのまま

しっかりと残っている

ということなのだ。

やはりその中で、

天皇家であれ、藤原氏

であれ、徳川氏であれ、

なんなら内閣総理大臣

であれ

徳を持たなければ

国がまとまらない

だろうという日本的な

政治哲学があるのだ。

国体と政体の問題は

非常に重要なのだ。

明治以降、それらを

強引に合致させようと

したのだ。

本来は、三島由紀夫が

唱えたように文化概念

に近い、

もっと包摂的な国体の

あり方が望ましいのだ。

本来はそうでところが

明治以降は、近代国家

をつくり上げ、

中央集権体制を築いて

いく上で、近代化を

急ぎすぎてしまった

のだ。

近代化の中で天皇を

軸とした国家形成を

実現しようという

取り組みがあり、

それはそれで

やむを得ないかも

しれないが、

あまりにも国体と

政体がくっつきすぎて

しまったのだ。

天皇が

「真面目な存在」

に押し込められすぎた

というか

三島由紀夫が書いて

いたと思うが、国家の

中には高尚なものから

低俗なものまですべて

が含まれているが、

天皇はいずれも

排除することはない

のだ。

なぜなら、天皇は

すべてを隈なく映し

とる鏡のような存在

であるからと

例えるならば、

ロック音楽から雅楽

みたいなものまで、

ありとあらゆるものを

日本文化の中に包摂する

存在として天皇がいる

というのが三島の解釈

なのだ。

本来の国体というのは

そういうものだと思う

のだ。

北畠親房は

「芸」について触れて

いるのだ。

「そもそも人民を

導いていくには、

様々な学問、

技芸はみな欠く

べからざる

肝要のものである」

技芸とは詩歌、漢詩、

和歌、書道といった

ものなのだ。

技芸は心の源を

明らかにし、正道に

返る術であると親房

はいっているのだ。

彼は、政治の道と

芸術の道はお互いに

通じているという

言い方をしているのだ

だから上に立つ者は

「一芸に秀でているべきだ」

といっているのだ。

歌でも音楽でもいい

からと。

中国の思想家・孔子は

こんなことをいって

いるのだ。

「たらふく食べて、

終日何も考えないより

は、博打でもやって

いた方がいい」

そういえば、昔の金持ち

(財界人)はだいたい

茶道をやっていたのだ。

茶人が多いのだ

例えば「電力の鬼」

といわれた実業家・

松永安左エ門もそう

なのだ。

彼は

「耳庵( じあん)」

という号を持っていた

のだ。

だがいまの金持ちは

ゴルフをやるのかな(笑)

戦前の財界人は

そういう人たちが

多かったのだ。

三井物産の設立に

関わった実業家・

益田鈍翁

(ますだどんのう)

(益田孝)

もそうなのだ。

いまのIT企業の

社長さんなんかは、

そういうのは

まったくないのでは

だから日本企業は

ダメになっていく

のだ。

伝統文化や技芸は

やはり重要だと思う

のだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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